
【スバル モータースポーツ05-06】訃報と未来の才能と
2005年はスバルのラリー活動にとって訃報がふたつ、相次いだ。3月、STIの初代社長である久世隆一郎氏がラリーメキシコ開催週に逝去。もうひとつの訃報は、01年にスバルで世界チャンピオンを獲得したリチャード・バーンズの死である。

【スバル モータースポーツ05-06】マキネンが細部にまで協力
「SUBARU Motor Sport Press Conference 2005-2006」には、主戦ドライバーのペター・ソルベルグ以外にもうひとり、WRCチャンピオン経験者が来日した。96−99年に前人未到の4年連続チャンピオン獲得を実現した、トミ・マキネンである。

【スバル モータースポーツ05-06】スーパー耐久シリーズで大活躍
スバルのモータースポーツ活動はラリーだけではない。2005年、スーパー耐久シリーズのST2クラスにおいて、『インプレッサ』が3年ぶりのシリーズチャンピオンを獲得した。

【スバル モータースポーツ05-06】新井敏弘、レオタードは似合わない
日本人ドライバーとして史上初めて、FIAが挙行する世界選手権のチャンピオン(PCWRCチャンピオン)となった新井敏弘は、9日に迫ったモナコでのFIA表彰式に、「紋付き袴で参加します」と宣言した。

【スバル モータースポーツ05-06】電話料金3万ユーロの勝利
5日、「SUBARU Motor Sport Press Conference 2005-2006」が開催され、ペター・ソルベルグがWRC2005年シーズンの苦戦を語った。「僕の全力をもってしても、フラットアウトできない。SSのトップが獲れない状態だった」。

【スバル モータースポーツ05-06】ペターが延々とジオメトリーの話
05年シーズン、スバルのWRC活動においてキーワードは“コラボレーション”。コラボレーションの最たる例は、ラリージャパンから投入されたリヤサスペンションだろう。

【スバル モータースポーツ05-06】コラボレーション
05年シーズンはスバルのWRC活動において、大きな転換点ともいえる年だった。キーワードは“コラボレーション”。これは、「SUBARU Motor Sport Press Conference 2005-2006」に出席した首脳陣やドライバーたちが頻繁に口にしたフレーズである。

【スバル モータースポーツ05-06】06年、反撃のWRCドライバー体制
WRCに関しては06年を反撃のシーズンとしなければならないが、この日、東稔也マニュファクチャラー代表から06年のドライバー体制について発言があり、「05年と同じラインアップです」とのこと。

【スバル モータースポーツ05-06】苦しんだ05年シーズンにも朗報
5日、東京都内で「SUBARU Motor Sport Press Conference 2005-2006」が開催され、スバルのラリー活動を代表する面々が05年の戦いを総括するとともに、06年への意欲と決意を披露した。

スバル レガシィツーリングワゴン に特別仕様
富士重工業は、スバル『レガシィ・ツーリングワゴン』に特別仕様車「2.0GT-リミテッド」を設定して1日から発売開始した。