【ボルボ V60 ポールスター 試乗】終焉迎える直6ボルボ、シャシーマッチングは絶品…中村孝仁

試乗記 輸入車

一つの時代が終わりを告げようとしている。ボルボは今後基本的に4気筒以上のシリンダー数を持つエンジは作らないと宣言した。すなわちそれは現行6気筒エンジンが生産終了を迎えることを意味する。

ボルボが単独自社開発による6気筒をエンジンを搭載したのは、戦前から戦後にかけての古い過去にさかのぼる。自社開発のサイドバルブエンジンを搭載した複数のモデルが存在したが、近代に話を限ると、1990年に登場した『960』が最初であった。

日本市場は初めのうち、「700」シリーズ時代から搭載していたPRV製(プジョー、ルノー、ボルボによる共同開発のV6エンジン)のV6を搭載していたが、世界的には960を投入するにあたり全くの新開発エンジン、「B6304」を搭載した。B6304とは最初のBがガソリン仕様を、その次の6が6気筒を、次の30が3リットルの排気量、最後の4はバルブの数を意味する。しかもこのエンジン、V6ではなく直列6気筒であった。当時はまだBMWをはじめとして多くのメーカーが直6を生産していたが、時代は徐々にV6に切り替わる頃であった。

何故ボルボが直列にこだわったのか。

理由は二つある。一つは排ガスの処理だ。つまりV6と違い、ブロックの片側にエキゾーストマニフォールドが集中するから、排ガス処理がしやすかったのだ。960に搭載されている時代は理由はそれだけだった。何故なら縦置きだから。ところが後継モデルのS80になると理由がもう一つ増えた。それは横置きにすることで、エンジン前後に空間を作り、いわゆるクラッシャブルゾーンを確保しエンジンが押し出されて室内に侵入しないためのスペースを作るためだった。

そしてボルボは以後、トップモデルにこの直6横置きのレイアウトを使い続ける。『S80』がそれ。排気量も2.8リットルツインターボ、3リットルNA、3.2リットルNA、さらに3リットルツインスクロールターボ等々、エンジンバリエーションは数多く展開された。だから当初はトップモデルのみだった展開も、やがて『V70』『S60』『XC60』と展開を広げ、ボルボの顔とも思えた直列5気筒が消えた後も、V40を除くすべてのモデルにこの6気筒エンジン(3リットルツインスクロールターボ)が搭載されているのだ。

というわけで縦置きから横置きへ、NAからターボへと変遷を経て四半世紀、ボルボを代表するエンジンにのし上がったB6304も、ついに終わりを告げることになった。

最終モデルはすべてポールスターのチューニングが施されたスペシャルエンジンに仕上がっている。パワーで25ps、トルクで40Nm引き上げられ、しかもこれが無償アップグレード。もちろんメーカー保証の対象となる(なお、これとは別にS60/V60計50台限定で最高出力が350psにまで引き上げられた最終限定車が発表されている)。

ボルボというメーカーは、昔から本当の意味でのカッティングエッジ・テクノロジーやデザインを使って来なかった。一言で表現するならマイルドの旗手である。直6エンジンがたどった道も、BMWのようにパワー指向ではなかったし、かといってウルトラスムーズというわけでもない。常にシャシーとのマッチングを重視して尖った性能を与えてこなかった。ある意味それが“ボルボイズム”のような気がしてならない。

329psというパフォーマンスは今の時代、とてつもないスペックではないが、それを縦横無尽に操ることが出来るかといえば、とてもじゃないが無理だ。480Nmというというトルクだって正直べらぼうである。だからそれを称してマイルドなどと呼ぶのはどう考えてもおかしいのだが、現実問題ボルボが相手をする先にはこいつをはるかに上回るエンジンを搭載したライバルがいるから、マイルドとなるわけである。

トランスミッションはアイシンAW製6速AT。そのスムーズさといい、俊敏な繋がりといい文句なしだ。今回試乗したモデルは「T6 AWD ポールスター」。325psとは裏腹に、乗り心地は極めて快適で、見事に角の取れた懐の深さを見せつけてくれた。これぞボルボの持つバランスの高さである。

正直な話4気筒以上を作らないと宣言してしまった今、宗旨替えのあることを望んでしまうのは僕だけだろうか。確かに4気筒の新しいドライブEコンセプトは世界でも最良の4気筒の一つである。だからこそ、これをベースにマルチシリンダーを作って欲しいと思ってしまうわけである。

■5つ星評価
パッケージング:★★★★
インテリア居住性:★★★★
パワーソース:★★★★
フットワーク:★★★★
おすすめ度 :★★★★

中村孝仁(なかむらたかひと)|AJAJ会員
1952年生まれ、4歳にしてモーターマガジンの誌面を飾るクルマ好き。その後スーパーカーショップのバイトに始まり、ノバエンジニアリングの丁稚メカを経験し、その後ドイツでクルマ修行。1977年にジャーナリズム業界に入り、以来37年間、フリージャーナリストとして活動を続けている。
《中村 孝仁》

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