初代『センチュリー』が発表されたのは1967年9月。車名はトヨタ・グループ創業者の豊田佐吉の生誕100年と明治100年にちなんだもの。シンボルマークは宇治平等院の鳳凰をモチーフにデザインされている。
トヨタ・センチュリー(初代)当時のカタログそれまでの『クラウンエイト』に代わり、“全く新らたにスタイル、性能、居住性、すべてにトヨタ技術の粋を結集して設計(表記とも当時のニュースリリースより)”されたクルマで“世界の豪華車を目指すクルマ(同)”としていた。当初の月産台数は150台を予定。
トヨタ・センチュリー(初代)当時のカタログ
1965年登場の日産『プレジデント』がアメリカナイズされた外観だったのに対して、オリジナリティ溢れる優雅で堂々としたスタイルは、後に現在のモデルにも受け継がれてている(2代目、3代目は写真参照)。
全長4980mm×全幅1890mm×全高1450mm、ホイールベースは2860mmと、クラウンエイトからひとまわりゆとりのあるボディサイズとなっていた。
トヨタ・センチュリー(初代)当時のカタログ最初の搭載エンジンは、新開発のV型8気筒・2981ccのアルミブロック・アルミヘッド、3V型。最“大”出力150ps/5200rpm、最大トルク24kg・m。これに3段ATと、MTとしてオールシンクロメッシュの4段フロアシフトと3段コラムシフトを設定。シャシーは前後にサブフレームを採用、フロントサスペンションは、フロントにローリングフラムダイヤルの密閉式空気バネを採用している。
トヨタ・センチュリー(初代)当時のカタログ当初は、A、B、C、Dの4つの仕様を用意。最上級のD仕様は“クーラエヤコン”ほかエアピュアリファイア、ベンチパワーシート、パワーステアリング、オートドライブや、ドアオートロック、電磁ドアロック、トランクオープナーといった機能が標準装備された。このD仕様の東京店頭渡し価格は268万円。
トヨタ・センチュリー(初代)当時のカタログ1987年にフェイスリフトを実施したほか、途中、エンジンを始めさまざまな改良が加えながら、1997年に2代目にその役目を引き渡すまで30年間の長寿を誇った。
なお、カタログとともに写したミニチュアカーは筆者の“当時モノ”の私物で、1969年12月に発売されたダイヤペットNO.D-177。
トヨタ・センチュリー(初代)当時のカタログ









