「ヤマハの歴史」35台が快音響かせ走った…キング・ケニーもサプライズ登場

ヤマハ YZR500 OW70を駆るケニー・ロバーツ氏
  • ヤマハ YZR500 OW70を駆るケニー・ロバーツ氏
  • ヤマハ YZR500 OW70を駆るケニー・ロバーツ氏
  • ヤマハ歴史車輌デモ走行会・見学会2018 四輪車走行
  • ヤマハ YZR750 OW31を駆るケニー・ロバーツ氏
  • ケニー・ロバーツ氏
  • ケニー・ロバーツ氏を囲んでのトークショー
  • ヤマハ YA-1と代表取締役社長の日高祥博氏
  • ヤマハ YA-1

ヤマハは11月3日、ヤマハ袋井テストコース(静岡県袋井市)において、10回目となる「ヤマハ歴史車輌デモ走行会・見学会2018」を開催した。会場には二輪、四輪合わせて62台が展示され、そのうちの35台が実際に快音を響かせてテストコースを走行した。

動態保存が基本

ヤマハの企業ミュージアム、コミュニケーションプラザが所有する歴史車両をヤマハ袋井テストコースにて実際に走らせることを目的に開催されているこのイベントも10回目を迎えた。今回もヤマハの初代モデル『YA-1』や『MF-1』、バイクブームで一世を風靡した『RZ250』、『RZ250R』、『TZR250』、そしてレーシングマシンの『YZR750 OW31』や『YZR500 OW70』などの二輪車が走行。

また四輪車では、ヤマハとトヨタとで共同開発したトヨタ『2000GT』や、ヤマハ製エンジンを搭載したレクサス『LFA』、そして、F1用V型12気筒を搭載したプロトタイプのヤマハ『OX99-11』が袋井のテストコースを快音とともに駆け抜けた。
ヤマハ歴史車輌デモ走行会・見学会2018 四輪車走行
基本的にライディング、ドライビングするのは、ヤマハの社員などがボランティアとして参加した人たちだったが、YA-1にまたがって登場したのは同社代表取締役社長の日高祥博氏、そして、サプライズゲストとして、1978年からワークスライダーとして活躍した“キング・ケニー”こと、ケニー・ロバーツ氏も登場し会場を沸かせた。

ケニー・ロバーツ氏は、彼が当時ライディングした『YZR750 OW31』と『YZR500 OW70』を走らせ、YZR500ではコーナーの立ち上がりのたびにフロントホイールを浮かせ、サービス精神を発揮していた。
ヤマハ YA-1と代表取締役社長の日高祥博氏

ブランド価値を高めていく活動の一環

ヤマハの企業ミュージアム、コミュニケーションプラザは今年で開館20周年を迎える。このミュージアムの最大の特徴は動態保存であり、展示してある車両の全てが走ることができるという。「2年に一度、展示してある車両を実際に走らせて、その当時を思い出してもらいたい」と語るのは、ヤマハ発動機企画・財務本部コーポレートコミュニケーション部インターナルコミュニケーショングループグループリーダーの山下和行氏。

「我々が大切にしているもの作りやデザイン、さらには当時から先進的な、他社にないような取り組みをしてもの作りをしていた。そういうマインドを伝えていきたいとこのイベントを開催している」とその趣旨を述べる。
ヤマハ YA-1
ヤマハは1955年に創業、今年で63年を迎えた。山下氏は、「創業時、国内では最後発のメーカーとしてモーターサイクルのマーケットに打って出て、1960年代の後半から海外進出を始め、現在ではモデル数も非常に多くなった。我々はその時々でエポックメイキングなモデルをデビューさせてきたので、そういったものを展示し、その頃の開発やもの作りの思い、そして販売実績をしっかり受け継ぎ後世に伝えていくことで、ブランド価値を高めて行きたいのだ」とこのイベント、さらにはコミュニケーションプラザの意義を語った。

また、今回サプライズゲストとしてケニー・ロバーツ氏を招いた理由については、「コミュニケーションプラザ開館20周年、そしてこのイベント自体も10周年ということで何かしら目玉になるイベントをやりたいという思いがあった。そこで、お客様が喜んでくれるものは何かということから発想した結果だ」と山下氏。
ヤマハ YZR750 OW31を駆るケニー・ロバーツ氏
「我々はお客様との関係と同様に、モトGPやレースで一緒に活動したレーサーの人たちとは仲間のように今でも人間的な付き合いがあり、大事にしている。従ってレースが終わった後も、常に呼べば来てくれるような、そういう関係が維持できているのだ」と友好な関係を結んでいることを強調する。

そして、今後このイベントは、「ヤマハ袋井テストコースはもともと実験場なので入ること自体が非常に限られたエリア。来場者数を多くするよりはイベントのクオリティをよりあげていく方向で考えていきたい」とした。

ケニー「YZR500 OW81が一番良かった」

ケニー・ロバーツ氏を囲んでのトークショー
今回のイベントでは、RACERS誌加藤編集長の司会で、ケニー・ロバーツ氏と当時を知るエンジニアたちとのトークショーも開催。

レーシングエンジンを仕上げていく際のケニー・ロバーツ氏のエピソードについて、「彼はよくプリングパワーといっていたが、アクセルの開度とエンジンの出力がレスポンス良く反応するように、自分の思った開度で思っただけのトルクが欲しいと、顔を合わせるとそればっかりいっていた」と開発陣。

ケニー・ロバーツ氏は、「コーナーから脱出をする時にここで行きたいと思ったところでスロットルを開けて、そのタイミングでバイクが思った通りに加速しないと自分としてはとても困るからだ」とその理由を述べる。そして、そのレスポンスが一番鈍かったマシンはとの問いに、「たくさんあったよ」と笑いを誘う。

その一方、ヤマハのエンジニアリングの印象については、「ヤマハで走っていた時はとても良い時で、毎年のようにバイクのカラーリングが変わるし、エンジンも変わるし、とてもエキサイティングで興味深い年を過ごした」と満足げだ。

そして、ヤマハのバイクの中で一番評価の高かったものは、「1985年の『YZR500 OW81』は一番良かった」と嬉しそうに語っていた。

ヤマハ歴史車輌デモ走行会・見学会2018

《内田俊一》

編集部おすすめのニュース

特集