【中田徹の沸騰アジア】年産200万台達成へ…アジアのデトロイトの未来

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タイ政府が『アジアのデトロイト』構想を発表したのは2000年代前半。タイ自動車産業はその後、クーデターやリーマンショック、昨年の大洪水などがブレーキとなり、一進一退を続けてきた。

そして遂に2012年、念願だった年産200万台を達成する。ただ、年産200万台のマイルストーンは通過点に過ぎない。今後数年以内に250万~300万台に拡大する見通しで、世界10位以内の自動車生産大国という目標を達成する可能性が高い。

その牽引役が「世界で最も成功した自動車産業政策」のひとつ『エコカー・プロジェクト』だ。2012年5月までに日産やホンダ、三菱自動車、スズキの4社がエコカー5車種を発売し、今後トヨタも新型車を投入する計画となっている。

アジアのデトロイト構想

1997年7月のタイバーツ切り下げを端に発したアジア通貨危機。これによりタイを含むASEAN各国の自動車販売は大打撃を受けた。タイの自動車市場は、1996年に59万台となったが、1997年に36万台、1998年に14万台に減少し、急転直下の悪夢を経験した。

当時の自動車輸出(完成車のみ)は年間数万台で、国内市場の減少が自動車生産の縮小に直結する構造となっていたが、販売先が複数あればリスクを低減できるとの考えから、タイ自動車産業は内需と輸出の2本柱の産業構造への転換を目指すことになる。このときタクシン政権の下で、“アジアのデトロイト”構想が提言された。

アジアのデトロイト構想をベースに進められた第1次自動車産業基本計画(2002~2006年)。このなかで1tピックアップトラックの生産・輸出拠点化を目指す方針が盛り込まれた。

法人税優遇などの恩典に加え、自由貿易協定(FTA)の拡大が輸出市場の開拓を後押しし、自動車各社はタイで生産する1tピックアップトラックを世界戦略車と位置づけ、増産投資を重ねた。

こうしたことからタイの自動車生産台数は2005年に100万台を突破。このうち完成車輸出は44万台となり、生産に占める輸出の割合は4割にまで上昇した。タイ政府の目論見通りグローバル化が進展した。

紆余曲折だったエコカープロジェクト

1tピックアップの輸出拠点としてのポジションが固まるなかで、これに続く戦略製品の獲得がタイ政府の狙いだった。これが“エコカー”であり、“エースカー”と呼ばれることもあった。

小型乗用車の生産を誘致するメリットは、規模拡大のほかに、部品産業のレベルアップ(小型商用車中心から乗用車を含めた幅広い分野の集積)、開発分野などへの投資拡大(乗用車のモデルサイクルはトラックより短いため設備や開発などへの投資がし易くなる)などを挙げることができる。

2006年2月に発表された第2次自動車産業基本計画(2007~2011年)では、2010年の自動車生産目標200万台が謳われ、エコカープロジェクトによる小型乗用車の生産誘致を目指すとした。

しかし、2006年9月のクーデターにより、アジアのデトロイト構想を発案したタクシン政権が崩壊。軍事政権はエコカープロジェクトの中止を検討したが、紆余曲折の末、工業省は2007年6月にエコカープロジェクトの実施を正式発表することになる。

エコカーをどのような製品とするのか。世界の自動車をめぐる事業環境がダイナミックに変化するなかで、議論は二転三転した。当初、日本の軽自動車がエコカーとして想定されていた時期もあり、単価の低い軽自動車(660cc以下)の生産を「人件費の高い日本」から「コスト競争力の高いタイ」に移管しようと言う内容も一時期みられた。しかし、世界の自動車市場の重心が新興国にシフトする状況に加え、燃料高を背景に低燃費車の需要が高まっていたこともあり、Bセグメントカーで決着した。

遂に年産200万台が確実な情勢に

政情不安などによりタイ国内で需要拡大が期待通り進まなかったことに加え、2008年のリーマンショックを受けて輸出需要が伸び悩み、タイの自動車生産は一進一退を続けた。

2010年の生産台数は165万台に拡大したが、2010年目標の180万台(200万台から下方修正されていた)を達成できなかった。

2011年、東日本大震災からの回復が進んだ7~8月には「1年遅れの目標達成」も可能と言われたが、10~11月のチャオプラヤ水系の大洪水を受け、146万台に沈んだ。

そして遂に2012年に200万台の目標を達成する公算である。洪水からの回復が急速進み、2012年2月の生産台数は17万台に迫り、3月には月間としては過去最高の19万台に伸びた。通年では200万~210万台に拡大すると予測される。

昨年から主力車種の全面更新が順次進んでいる1tピックアップが堅調に伸びていることもあるが、今後の成長の牽引役はエコカーだ。2010年に日産が第1弾『マーチ』を投入。2011年にはホンダが『ブリオ』を、日産が『アルメーラ』を生産開始した。2012年3月には三菱自動車とスズキがそれぞれ『ミラージュ』と『スイフト』で続いている。さらにトヨタも新型車を投入する計画だ。

エコカープロジェクトでは、最大8年間の法人税免除などの恩典が受けられる一方、生産規模を年間10万台に引き上げるよう求められている。このため今後50万台を超える生産が上乗せされることになり、2014~2015年にはタイの自動車生産は250万台に達する。300万台も夢ではない。

タイの自動車生産順位は、2010年の世界12位から、2011年の14位に後退。しかし、今後250万台にまで拡大すれば、スペインやフランス、カナダなどを抜いて9~10位に浮上する可能性が高い。アジアに限ってみれば、中国、日本、韓国、インドに次ぐ5位のポジションが定位置だ。

タイの競争力を支える部品産業

ASEANでは今後インドネシアの台頭が予測されるが、内需の成長性では劣勢なタイの自動車産業は競争力、優位性を維持できるのか?

答えは、イエス、と筆者は考える。その理由は部品産業の集積だ。

あまり知られていないかもしれないが、日本の完成車メーカーにとって、タイは日本に次ぐ(海外では最大の)供給拠点で、世界中に部品を輸出している。2011年10月にチャオプラヤ水系の大洪水によりタイ中部地域の広い範囲で被害が発生し、自動車部品メーカーの多くも被災。これによりサプライチェーン(部品供給網)が停止する事態となったが、影響はタイ国内やASEAN地域だけでなく、日本や米欧地域にも及んだ。洪水リスクが顕在化した一方で、アジア(世界)のハブ拠点として機能するタイの役割の大きさが改めて示されたともいえる。

タイには、自動車生産・輸出の拡大に伴ってスケールメリットを獲得し、それにより競争力を磨いてきた部品産業が集積している。タイ自動車研究所によると、タイ国内の部品メーカーは1次サプライヤー635社、2~3次1700社で、これらのサプライヤーが“アジアのデトロイト”としての着実な成長を支えている。

一方、2.3億の人口を背景にASEAN最大市場への成長が期待されているインドネシアでは、1次250社、2次以下550社(インドネシア工業省)となっており、タイとの単純比較して半分以下だ。タイでは、人件費上昇や人材不足、洪水問題などが指摘されるが、層の厚いサプライチェーンがさらなる投資を呼び込む形となっており、これがタイの競争力・優位性の源泉である。

《中田徹》

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