発端は“小さなマセラティ”計画 |
旧ベルトーネ工場の復活と、マセラティの故郷・モデナ人の憂鬱。2011年5月にイタリアで起きた一見無関係なふたつのニュースは、実は密接なつながりがある。
事の発端はベルトーネ・グループのボディ製造部門「カロッツェリア・ベルトーネ」が2008年に破産したことにあった。トリノ郊外グルリアスコのボディ製造工場は裁判所の管理下に入り、生産作業に従事していた1000名の従業員は行方を失ってしまった。
そこに名乗りをあげたのはフィアットだった。同社はグルリアスコ工場従業員の全員再雇用と1億5000万ユーロの新規投資を約束した。それを受けて翌09年8月、裁判所とともに旧ベルトーネの資産管理をしていたイタリア経済開発省は、フィアットへのグルリアスコ工場売却を認可した。
そして11年5月3日、グルリアスコ工場では、フィアットの労働協約を受け入れるか拒否するかを巡り、旧カロッツェリア・ベルトーネ従業員による投票が行なわれた。結果は88%の従業員がフィアットの労働協約を受け入れる意志を示し、グルリアスコ工場再開に向けて一歩が踏み出された。
問題は車種だった。フィアットはグルリアスコ工場買収当初、「提携先のクライスラー社の一部モデルを生産予定」とのみ公表していた。やがて11年2月の労働協約提示に際して、より具体的な計画を明らかにした。
それによると、グルリアスコで生産を予定しているのはマセラティの新型車だった。メルセデス『Eクラス』やBMW『5シリーズ』をライバルに据えたもので、従来車種よりひと回りコンパクトなものとという。
プラットフォームはクライスラー『300』および姉妹車のランチア『テーマ』新型のものを流用。4WD仕様もラインナップに据える。年間生産台数は5万台を目標とする、という計画だ。
このトリノ製“マセラティーノ”(Maseratino=小さなマセラーティ)計画にたいして即座に危機感を訴えたのは、現在のマセラティの本拠地であるモデナの人々だ。
マセラティはモデナを代表する工業製品のひとつであり、雇用確保の場でもある。それが最悪の場合地元から消滅してしまうことに対して、モデネーゼたちは危惧を抱いたのである。参考までに現在モデナのマセラーティ本社工場では約600名が働いている。
そうした空気を受けて、イタリアで全国ストライキが行なわれた11年5月6日、モデナでは労働組合による先導のもと、デモ参加者たちはマセラティ本社前を行進した。当日モデナに赴いた筆者に対して、地元テレビ局のチーフディレクターは「マセラティは歴史的見地からしてもモデナにあるべき。モデナにあってこそ価値がある」と力説した。
しかし、アルファロメオはミラノ郊外アレーゼにもはや工場施設はなく、南部ポミリアーノやトリノ郊外で造られている。「アルファはミラノに限る」と惜しむ世代のイタリア人もさすがに少数派になってきた。
それから察するに、もしマセラティの主力工場がトリノ郊外グルリアスコに移ったとしても、「モデナ製じゃなくちゃ」というファンは少ないと思われる。ましてや大半が国外で販売されるマセラティゆえ、アルファロメオ以上にこだわりのあるユーザーは少なかろう。
そもそも生産拠点の集中は、成熟化したイタリア自動車産業にとって、必須の課題だ。ただし忘れてはいけないのは、もしモデナのマセラーティを縮小する場合の、従業員処遇である。
イタリア人は郷土を家族同様に大切にする。今回の騒動は一歩間違えばモデナ人のトリノ人に対する憎しみに発展する。
1960年代に新興工業地帯として造られたアルファロメオのアレーゼと違い、創業の祖であるマセラティ兄弟は19世紀末からエミリア・ロマーニャ州を本拠としてきた。人々は、マセラティのシンボルマークが創業地ボローニャの広場にたつ海神ネプチューン像の矛であることを誇らしげに語る。それは、ときにクルマにそれほど関心がない人でも知っている。
両親がイタリア人とはいえカナダで人生の大半を過ごしてきたフィアットのセルジオ・マルキオンネ社長が、彼らのメンタリティをどこまでフォローできるか。そのあたりが、普通のイタリア人の間で後世にわたって評価される経営者となるか否かの分かれ道になる。
大矢アキオの欧州通信『ヴェローチェ!』 |