スペイン政府系機関とフィアットの出資により1950年に発足した自動車メーカー・セアトは、1978年になると大幅な赤字に転落した。政府が輸入車および外資系企業の工場進出を緩和したのがきっかけだった。
そうした状況に積極的な打開策を講じないフィアットに、設立当時からの共同出資者である国営工業機関と銀行団は、やがて業を煮やし始める。
増資をはじめとする各案が検討されたが、1982年になると結論を待たぬままセアトの財政は危機的状況となり再建案は決裂。フィアットは、たった1ペセタという衝撃的価格でセアト株を売却してしまう。
事態はさらに混迷した。後年セアトが新型車『ロンダ』を発売すると、フィアットは「ベースとなった自社モデル『リトモ』に酷似している」として、問題を法廷に持ち込んだのだ。結果は、裁判所がセアト側に有利な判決を下した。1983年のことだった。
そうしたなかでセアトは、フォルクスワーゲン(VW)との関係を模索していた。そのスタートはまず、スペイン国内のセアト販売網を使ったVW/アウディ車の販売代理契約として結実した。
1984年には、セアト初の完全自主開発モデル『イビーザ』を発表。ポルシェ設計のエンジン、ジウジアーロ・デザインのボディをもつそれは、「ラテンのルックス、ジャーマン・キャラクター」をキャッチフレーズに販売が展開された。