【土井正己のMove the World】テスラの死亡事故で我々が学ぶべき「3つの視点」

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テスラ モデルS(参考画像)
  • テスラ モデルS(参考画像)
  • テスラのオートパイロットのイメージ

5月に米国で起きた、テスラ『モデルS』での「自動運転(オートパイロット)」走行中の死亡事故について、日本の国交省は、「運転の責任はドライバーであり、機能を過信せず、責任を持って安全運転を行う必要がある」とのコメントを7月6日に発表した。また、自動車会社に対して、同様の機能が搭載されている車両についてユーザーへの説明を徹底することを指示した。適切な対応だと思う。

◆米、上院も事故を重大視

この事故に関しては、米国においても、米道路交通安全局(NHTSA)が調査を始めており、また、米上院もテスラに対して説明を求めている。事故の状況としては、テスラ車の高速道路走行中にトレーラーが高速道路を横切ろうとして衝突したということだが、自動運転も人間も太陽が逆光で、トレーラーを認識できなかったというのがテスラのコメントだ。

◆米国「コンシューマーレポート」に見る「3つの視点」

7月14日付の米国「コンシューマー・レポート」誌は、3つの重要な視点を我々に与えてくれている。まず、自動運転の安全機能が向上するまで、装着されるべきではないとした。車はPCではないので、後日バージョンアップするというやり方は許されないと断言している。これは、昨今IT系の企業が自動車に参入してきているが、自動車とITの一番の違いは、車は「人間の命がかかっている」ということだ。「バグがあったので事故になりました」では済まされない。

2つ目の視点は、テスラの自動運転についてのPR方針だ。「運転の責任はドライバー」としながらも「退屈な運転から解放される」とするテスラの訴求方針を強く批判をしている。そもそも「運転の責任はドライバー、安全運転への注意を怠ることは許されない」のであれば、自動運転の存在価値がなくなる。よって、「退屈な運転から解放される」を強調したということだと思えるが、誇大表現と捉えられる可能性は否定出来ない。翻って、日本においても各メーカーやメディアによるPRにおいて、誇大表現と見られるものが多々見受けられるのではないだろうか。

◆ドライバーは直ぐに「引き取れ」ない

3つ目の示唆は、ドライバーが、一度運転への集中から意識が離れた後、再び、集中するまでのインターバルについての記載だ。自分でも経験があるが、走行中に車内の会話などで周辺への集中が散漫になった場合、再び、集中し周辺情報が頭で再整理され判断ができるまで若干の時間を要する。「コンシューマー・レポート」では、3秒から17秒としている。今後、自動運転等の技術が一般化する中で、「手は、常にハンドルの上」がルールとなると考えられる。いつでも、ドライバーが運転を引き取れる(自動運転から)状態でなければならないという意味である。しかし、引き取った時が、危険な状況であれば、とっさの情報処理、判断をドライバーができず、重大な事故につながる可能性があることを述べている。

◆安全性に関する科学的議論が重要

こうした視点がこれまで欠けていたことについて、メディア側も反省すべきことだと思う。「自動運転」という自動車の未来技術に関して、安全性に関する科学的な議論が十分なされないまま、各社の技術競争(市場導入の早い、遅いだけを比較する)を煽るような記事ばかりが目立っている。今回の事故をきっかけに、日本のメディア、メーカーも「何のための自動運転技術か」をしっかり議論して欲しい。

<土井正己 プロフィール>
グローバル・コミュニケーションを専門とする国際コンサルティング・ファームである「クレアブ」代表取締役社長。山形 大学特任教授。2013年末まで、トヨタ自動車に31年間勤務。主に広報分野、グローバル・マーケティング(宣伝)分野で活躍。2000年から2004年 までチェコのプラハに駐在。帰国後、グローバル・コミュニケーション室長、広報部担当部長を歴任。2014年より、「クレアブ」で、官公庁や企業のコンサルタント業務に従事。

《土井 正己》

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