海を渡った日本車と、育てた人たち…ポーランドで出会った「もうひとつの日本のクルマ文化」

JAPFEST Poland 2026
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  • 土屋圭市氏によるS2000タイムアタック
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真夏の太陽が燦々と照りつけるなか、長い行列ができている。ここは日本ではない。日本からおよそ9000km離れたポーランドだ。

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JAPFEST Poland 2026JAPFEST Poland 2026

列をつくる人たちが大切そうに抱えているのは、ポストカードや漫画、ミニカー、クルマのパーツ。中には大きなボンネットやルーフを抱えている人までいる。その先にいたのは、「ドリキン」こと土屋圭市氏だ。

土屋圭市氏サイン会土屋圭市氏サイン会

2026年7月、私は土屋氏とともにポーランドを訪れた。目的は、ポズナンサーキットで開催されたポーランド最大級の日本車イベント「JAPFEST Poland 2026」への参加だ。ようやく自分の順番が来て土屋氏を前にすると、手を震わせ、声をうわずらせる人がいる。

土屋圭市氏サイン会土屋圭市氏サイン会

その光景を眺めながら、私はずっとひとつのことを考えていた。彼らはなぜ、こんなにも日本のクルマと文化を愛してくれているのだろう、と。

◆見慣れた日本車、けれどどこか違う景色

JAPFEST Poland 2026JAPFEST Poland 2026

会場を歩けば、目に入ってくるのは、日本車、日本車、そしてまた日本車。日産『スカイライン GT-R』『シルビア』、マツダ『RX-7』、ホンダ『シビック』、トヨタ『スプリンタートレノ』(AE86)。そしてスタンス、ドリフト、JDM。

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さまざまな車種、さまざまなカスタムを施したクルマが並び、さらには日本のナンバープレートやステッカーまで再現されたクルマがあって、一瞬ここが日本なのではないかと錯覚する。

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けれどしばらく歩いていると、どこか違う。見覚えのあるクルマが並んでいるのに、そこにいる人たちの表情も、その楽しみ方も、日本で見る景色とは少し違って見えた。JAPFESTが始まったのは2014年。当初は数百人規模のクローズドイベントとして計画されていたが、わずか3年ほどでポーランド有数の自動車イベントへと成長した。

現在ではポーランド国内だけでなく、ポルトガルやノルウェー、アイルランドから、数千kmを走って参加する人もいるという。展示できるのは、選考を通過した日本車のみ。それでも主催者は、選考から漏れた人に対して、どこを改善すればより魅力的なクルマになるのかを伝えている。

「ただ落選を知らせて、その人をコミュニティから切り離すことは絶対にしない」代表のMichal Jakubek(ミハエル・ヤクベック)氏がそう話していた。

JAPFEST Poland 2026開会式JAPFEST Poland 2026開会式

なぜ、そこまでしてこの場所に集まるのか。そして、なぜ彼らは、これほどまでに日本から生まれたものを大切にしているのか。3日間を彼らとともに過ごすうちに、最初に抱いたその問いは、少しずつ別の形に変わっていった。

◆私たちの「日常」は、彼らの「憧れ」だった

JAPFEST Poland 2026JAPFEST Poland 2026

会場を歩きながら、私は何度も不思議な気持ちになった。彼らが大切にしているものの多くは、私にとっては身近にあったものだったからだ。

日本で生まれたクルマ、街やサーキットで見てきた光景、日本語のステッカー、チューニングやドリフトという文化。日本でクルマに触れてきた私にとって、それらは特別に「日本の文化」だと意識することはあまりないほど、日常の中にあった。

けれど、海を渡ったここでは違う。日本から何千kmも離れた場所で生まれ育った人たちが、その1台を手に入れ、日本で生まれたスタイルを調べ、自分のクルマに取り入れる。

そして数千kmを走ってでも、JAPFESTという場所へやってくる。私たちにとっては当たり前かもしれないものが、誰かにとっては、遠く離れた場所から追いかけ続けるほどの憧れになっている。

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そう思うと、それまで見慣れていたはずの日本車が、私にも少し違って見えた。そして、彼らが海の向こうで受け取っているものは、どうやらクルマという「モノ」だけでもないらしい。そのことを強く感じる出来事が、このあとに待っていた。

◆憧れの人に、ステアリングを託す

土屋氏のS2000タイムアタック土屋氏のS2000タイムアタック

イベント初日、土屋氏のために用意されていたのは、1台のホンダ『S2000』だった。このクルマを製作したJacek Nowak(ジャセク・ノバク)氏から、土屋氏へ宛てた一通の手紙がある。

「私はプロのメカニックでもエンジニアでもありません」手紙は、そんな言葉から始まっていた。

S2000製作者Jacek Nowak氏S2000製作者Jacek Nowak氏

20年以上前、日本の文化やものづくり、そして自動車に魅了された、ごく普通のクルマ好き。そんな彼が友人たちとともに約10年をかけ、一からこのS2000を製作してきたという。

子どもの頃からル・マン24時間レースを観て育ち、JGTCのS2000やARTA NSX、FEED FD3S、SPOONなど、土屋氏がステアリングを握った数々のクルマとその走りが、今の自分をつくった。

「今日、このクルマを最も尊敬するドライバーに託すことを、心から誇りに思います」その一文が、彼にとってこの日がどんな意味を持っていたのかを物語っていた。

実際、この日のために過ごした最後の数ヶ月は、不安とプレッシャーで眠れない日が続き、体重も5kgほど落ちたという。「自分の目の前に土屋さんがいる。そして、自分がつくったクルマを運転している。いまだに信じられない」彼は何度もそう話していた。

土屋氏のS2000タイムアタック土屋氏のS2000タイムアタック

S2000は完璧な状態だったわけではない。手紙にも、製作に多くの時間を費やしたが十分なテストやセッティングができず、まだ理想の完成形には届いていないと率直に記されていた。そんなマシンに乗り込み、土屋氏はコースへ出ていった。初めて乗るクルマ。それも左ハンドルだ。

ところが、何度かラップを重ねるうちにクルマの特性を掴み、徐々にタイムを縮めていく。仕事柄、私もこれまで土屋氏の走りを目にする機会はあった。それでも、初めて乗る、決して完璧とはいえないマシンを短時間で理解し、ましてや初めてのサーキットで乗りこなしていく姿を間近で観ながら、「ああ、やっぱりこの人はすごいドライバーなんだ」と改めて思った。

土屋圭市氏によるS2000タイムアタック土屋圭市氏によるS2000タイムアタック

けれど、この日の光景で私の記憶に最も残っているのは、タイムではない。走行を終えたあと、何度も涙を堪えていたJacek氏の姿だ。何ヶ月もの間抱えてきた不安から、ようやく解放されたのだろう。何度も涙を堪えるその表情には、安堵と、夢が叶った喜びが入り混じっているように見えた。

20年以上前、日本から遠く離れたポーランドで日本のモータースポーツに憧れたひとりの少年。その憧れが知識になり、技術になり、仲間と過ごす時間になり、やがて1台のクルマになった。そして2026年の夏、そのステアリングを、かつて画面の向こう側にいた本人へと手渡した。

土屋圭市氏によるS2000タイムアタック土屋圭市氏によるS2000タイムアタック

翌日、今度はドリフトコースで、もうひとつの物語が待っていた。土屋氏がステアリングを握ったのは、世界的に人気を集める動画クリエイター、NIGHTRIDE(ナイトライド)が製作した、日産 スカイライン(R32)をベースにしたオールドスクールなドリフトマシン。

彼らもまた、自分たちのつくったクルマを「ドリキン」が運転するという現実に、終始興奮を隠せずにいた。

土屋圭市氏によるドリフト走行土屋圭市氏によるドリフト走行

ところが土屋氏による試乗中、マシンにトラブルが起きた。この日のためにどれほど入念に準備してきたのかを知っていたからこそ、そこにいた誰もが焦った。

NIGHTRIDENIGHTRIDE

幸いマシンは瞬く間に修復され、再び走れる状態になった。実はこの日、土屋氏のためには90スープラをベースにした、現代的なドリフトマシンも用意されていた。それでも彼が選んだのは、このマシンだった。

「フットレストもなくてさ、どこで足を踏ん張るんだよ」「でもさ、こういうのが懐かしくて楽しい」

笑いながらコースへ出ていった土屋氏は、ほどなくしてそのマシンを自在に操り始めた。

土屋圭市氏によるドリフト走行土屋圭市氏によるドリフト走行

華麗なステアリングさばき。白煙を上げながら、何度も目の前を駆け抜けていく美しいドリフト。鳥肌が立った。

あとでNIGHTRIDEメンバーと話すと、彼らも同じだったという。日本から来た私と、ポーランドでこのクルマをつくった人々。生まれ育った国も、土屋圭市というドライバーを知った場所も違う。それでも同じ走りを見て、同じ瞬間に心を動かされている。それがなんだか嬉しかった。

そして印象的だったことがもうひとつある。少なくともこの時、観客は驚くほど静かにドリキンの走りを見ていた。大きな歓声を上げるわけでもなく、じっと見つめ、走り終えると拍手を送る。

その横でキャーキャーと声を上げて興奮していたのは、どうやら私くらいだった。日本から来た私が、ポーランドで誰よりもドリキンの走りにはしゃいでいる。我ながら、ちょっとおかしかった。

土屋圭市氏によるドリフト走行土屋圭市氏によるドリフト走行

日本から届いたクルマや映像に心を動かされ、自分でも走り、つくり、仲間を増やしながら、何年も、何十年もかけて育ててきたもの。

そのきっかけをつくった人物のひとりが、いま、自分たちのつくったクルマのステアリングを握っている。そう考えれば、Jasek氏が涙を堪えていた理由も、NIGHTRIDEの皆が興奮を隠せなかった理由も、分かるような気がした。

◆クルマでつながった仲間を、ひとりにしない

アワード受賞車アワード受賞車

土曜日の夜は、公式アワードガラが行われた。会場の最前列で、私は土屋氏とともにその様子を見ていた。ステージではイベントを彩ったクルマや参加者たちにアワードが贈られ、その一方で、チャリティオークションも行われた。

アワード受賞車アワード受賞車

土屋氏が実際に使用したレーシンググローブも出品された。そして翌日、土屋氏の運転するドリフトカーの助手席に乗れる「ドリフトタクシー」の同乗権もオークションにかけられ、次々と価格が上がっていった。

チャリティオークションチャリティオークション

後日確認すると、この日のオークションで集まった金額は日本円にして300万円を超えたという。主催者によれば過去最高額で、例年の倍以上だった。けれど私が驚いたのは、その金額以上に、集められたお金の使い道だった。

その収益は、JAPFESTのコミュニティの中で、心のケアを必要としている人たちを支援するために使われるそうだ。これまでも、収益はうつ病などに苦しむ人を支援する団体へ寄付し続けてきた。しかし今年からはさらにもう一歩踏み込み、支援カウンセラーと提携したそうだ。コミュニティのメンバー本人やその家族が、必要な時に直接支援を受けられる仕組みを整えたのだという。

公式ガラ・アワード公式ガラ・アワード

そこまでして、この活動を続けるのには理由があった。数年前、主催者たちは大切な仲間を亡くしている。彼らの友人であり、ともにJAPFESTを盛り上げてきた一人が、自ら命を絶った。

その死を無駄にしたくない。同じように苦しんでいる誰かがいるのなら、今度は手を差し伸べたい。亡くなった仲間を偲ぶと同時に、今ここにいる仲間を支えるために、このチャリティは続けられている。

チャリティオークションチャリティオークション

その話を主催者のひとりであるMarta Jakubek(マルタ・ヤクベック)さんから聞いたとき、私は涙を抑えることができなかった。「こんなに素晴らしいことを、記事にせずにはいられない」そう伝えると、彼女も泣いていた。

JAPFESTを訪れるまで、私はこのイベントを「ポーランド最大級の日本車イベント」として見ていた。けれどあの夜、私が最前列で見ていたものは、単なるクルマのイベントだけではなかった。

好きなクルマをきっかけに出会った人たちが、誰かの苦しみを自分たちの問題として受け止め、今度はその仲間を支えようとしている。

チャリティオークションチャリティオークション

第1章で触れた、「その人をコミュニティから切り離すことは絶対にしない」という言葉。あれはイベント運営の方針などというものをはるかに超えていた。この人たちが、この場所をつくるうえで大切にしていることそのものだった。

◆見知らぬ場所で、もう一度「日本」に出会った

グランドフィナーレ・パレードグランドフィナーレ・パレード

「彼らはなぜ、こんなにも日本のクルマと文化を愛してくれているのだろう」

JAPFESTを訪れてから、私はずっとそんなことを考えていた。今、あのポーランドで過ごしてきた数日を思い返すと、その問いにひとつの答えを出す必要はないのかもしれないと思っている。

日本車との出会いも、日本のクルマ文化に惹かれた理由も、一人ひとり違う。ただ、確かにそこにあったのは、日本で生まれたクルマや走り、映像や漫画、そして人々から受け取ったものを、自分たちなりに大切に育ててきた人たちの姿だった。

日本から渡った小さな種は、遠く遠く離れたポーランドの土に根を張り、10年以上の時間をかけて、立派な彼ら自身の文化に育っていた。

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そして、その真ん中にいたのは、やはり「人」だった。愛車について夢中で話す人。憧れの人を目の前にして声を震わせる人。自分でつくったクルマのステアリングを託し、涙を堪える人。仲間のためにオークションへ参加する人。

何より私の記憶に残っているのは、そんな彼らの顔だ。感動して、興奮して、焦って、笑って。本当に楽しそうで、生き生きとしていた。その姿を見ているうちに、いつの間にか私のほうがたくさんの元気をもらっていた。

海の向こうまで、日本のクルマ文化がどんなふうに広がっているのかを見に来たはずだった。けれどそこで私は、自分にとってあまりにも身近で、いつしか当たり前になっていたものが、誰かの人生を動かし、人と人をつなぎ、こんなにもたくさんの笑顔を生み出していることを教えてもらった。

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全長4km少しのポズナンサーキットを、1200台の日本車が埋め尽くしたグランドフィナーレのパレード。その先頭に立って、皆にお別れを告げた時。

私が出会ったのは、日本のクルマ文化のコピーではなく、海を渡り、彼らの地で愛され、歴史を重ねながら育ってきた、もうひとつの日本のクルマ文化だったのだと、そう確信した。

《上之園真以》

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