「熱烈なヤマハファン」と社長就任時に紹介され注目を集めた、ヤマハ発動機の設楽元文新社長が2025年3月25日の就任から半年を迎えた。トラッカーバイクブームの火付け役としてバイクファンからも知られ、自らも「バイク好き」を公言する設楽社長とは、どんな人物なのか。
今回レスポンスによる単独インタビューが実現。あえてスーツ姿ではなく、バイクを囲みながらのカジュアルスタイルでの対談とし、設楽社長の「ヤマハ愛」「バイク愛」を語ってもらった。そこから見えてきたヤマハの「次なるステージ」とは。
聞き手は、レスポンス副編集長でバイク分野の編集を担当する宮崎壮人。
◆最初のきっかけはホンダ、バイクへの目覚めはカワサキだった
ヤマハ発動機 設楽元文社長宮崎副編集長(以下、宮崎):設楽社長が就任された際、渡辺会長(当時は社長)から「熱烈なヤマハファン」と紹介をされたじゃないですか。それがすごく心に残っていて。今日はもう、あえて「ヤマハ好き、バイク好きの設楽さん」としてのお話をお伺いしたいなと。
設楽社長(以下、敬称略):もうなんでも聞いてください。
宮崎:そもそもヤマハに入社したきっかけも、やっぱりバイク好きだったからなんですか?
設楽:これは色々な偶然があってですね。まずバイクに触れるきっかけになったのは、たまたま親戚の家のガレージにあったホンダさんの『モンキー』だったんですよ。中学生くらいの頃だったんですけど、ちっちゃいじゃないですか。これなら乗れるな、とエンジンを掛けてみたら掛かったんです。そうしたら走れちゃって。
ホンダ モンキー(写真は1978年)
宮崎:それは「敷地内で」ということですよね(笑)
設楽:そうです(笑)それで思いっきり吹かしてみたらウィリー状態になって、これはすごいな、自転車とは違うなと。で、高校生になってから免許を取りたいと親に話すと反対されまして。かといって自分で免許を取るお金もないし…ということで、全然バイクには触れなかったんです。
宮崎:それは意外です。高校時代から乗り倒していたのかと思いました。
設楽:大学に入る頃に、やっぱりバイクに乗りたいな、となりまして。色々見ていたら、すごく気に入ったバイクがあったんです。
宮崎:それは何だったんですか?
設楽:『パッソル』(ヤマハ)です。
ヤマハ パッソル(写真は1977年)宮崎:え!? 原付のあのパッソルですか? 何でまたパッソルに?
設楽:何だか惹かれたんですよね。すごく刺さったんです。周りはみんないわゆるモーターサイクルに乗ってましたから、何でそんな「買い物バイクみたいなものを買うの」とか言われましたけど、あの近未来的なカタチがいずれ流行るんじゃないかなと。カッコイイなと思ったんですよね。
宮崎:なるほど。
設楽:それで街乗りを楽しんで。しばらくしてお金が貯まったところで、パッソルを買ったヤマハのお店にあった『MR50』を買ったんです。それからツーリングにも出かけるようになりました。
宮崎:その頃には中免(普通二輪免許)は取っていたんですか?
設楽:いや、原付免許だけで。でも周りはみんな速いバイクに乗っていますから、置いていかれますよね。そこでやっと、ちゃんと免許を取らないとなと。それから友達が持っていた『KH250』(カワサキ)を借りて乗って、これはすごいなと。やっぱり大きいバイクにちゃんと乗らないとなと思ったんです。だから、一番最初のきっかけはホンダさんで、変なの(笑)の選択肢がヤマハで、バイクの目覚めはカワサキさんだったという。
レスポンス宮崎壮人副編集長宮崎:ツーリングの話が出ましたが、社長はキャンプも趣味だとか。これもやっぱりバイクとの関連からですか?
設楽:そうですね。今でこそキャンプブームと言われていますが、ずっと前からの趣味です。というか、バイクで北海道だとか遠くへ何日もかけてツーリングに行くと、いちいち宿を取るのも面倒くさいじゃないですか。だからキャンプする。これっていうのはスタンダードなんですよ(笑)子どもが小さいときは流石にクルマでしたけど、ずっと続けていますね。
宮崎:でも、社長になられてから益々お忙しいと聞きました。なかなかキャンプにも行けないのでは?
設楽:そうですね、今はちょっと時間がなくてキャンプを楽しめていないのはストレスです(笑)キャンプは続けていないと結構大変なんですよ。続けて、慣れていけば準備も道具もシンプルにしていけるんです。けど最近のキャンパーの人って、すごくゴージャスですよね。そんなところで僕が普通にやっていると、寂しい人と思われちゃうかも…今、時間があったら一番やりたいのはキャンプですね。
◆サーキットで初めて気づいたヤマハの魅力
ヤマハ発動機 設楽元文社長宮崎:それで、中免を取られてからは色々なバイクに乗られて。
設楽:ヤマハにちゃんと乗ってみたくて、『XJ400』を買おうと思ったんです。そうしたら『CBX400』(ホンダ)を勧められて、そこで初めて乗り比べというものをしてみたら、デザインも機能も全く違うんだと。それで結局CBXを買ったんですが、すごく良かったですよ。
宮崎:そこでもヤマハには行かなかった(笑)
設楽:行かなかったですね(笑)それで5万kmくらい長くCBXに乗って、次に単気筒の『CBX250』に乗ってみたんです。でもさすがにパワーがなくてちょっと違うなと。それで『ガンマ』(スズキ)の250(RG250Γ)にしました。
宮崎:いきなりレーサー系に行きましたね。
設楽:それから、ちゃんとバイクに乗るんだったら、自分の能力を高めないと危ないなと思ったんです。これはサーキットに行かないとダメだなと。それで大学の友達を誘って筑波サーキットに走りにいこうと。当時はほぼヤマハ『RZ125』のワンメイク状態だったんですが、そこで選択したのが『AR125』(カワサキ)だったんです。
ヤマハ RZ125(写真は1982年)宮崎:今度はあえてヤマハには行かなかったんですね。
設楽:スペック上はヤマハのRZ125と変わらなかったんですよ。これならテクニックさえあれば上位に入れるだろうと。でも走ってみたら全然追いつけない。結構テクニックには自信があったんですけど、さらに何週間もトレーニングをしていっても、1分13秒くらいは行けるんですがRZは11秒台で走っちゃう。
宮崎:そんなに差が。
設楽:サーキット用に少しモディファイするじゃないですか。そうするとパワーの出方が圧倒的に違うんです。友達のRZに乗らせてもらうと、もうなんじゃこりゃと。そこで初めて、バイクの本質っていうのはデザインやスペックだけじゃないんだと気付かされました。その2ストロークへのこだわりだとか、本当のものづくりというのはこういう細部までおこなうのかということを目の当たりにしまして、そこから俄然ヤマハが好きになりましたね。
宮崎:サーキットで初めてヤマハの魅力に気づいた。パッソルからヤマハに再び辿り着くまでずいぶんと時間が掛かりましたね。
設楽:そこからもっとヤマハのことが知りたくなって、色々勉強しました。でもその時点ではまだヤマハに入ろうとは思ってなかったんですが、調べていくうちにトヨタの『2000GT』というクルマに行き当たった。なるほど四輪も作っているのかと。振り返ってみれば、ヤマハのブランドには楽器があって、子どもの頃には家の給湯器やバスルームもヤマハだったし、庭にあった芝刈り機もヤマハだった。調べれば調べるほど面白い会社だなと思ったんです。
ヤマハ発動機 設楽元文社長(左)とレスポンス宮崎壮人副編集長(右)宮崎:ヤマハ愛が深まってきました。
設楽:もちろんホンダさんやスズキさんのことも色々と勉強しましたよ(笑)でも例えば、2000GTのインテリアにピアノの材質を使う、だとか、トグルスイッチにエレキギターのものを使う、だとか、エンジンはツインカムをチューニングして、テストコースで世界最高速を記録したりだとか。これはすごいなと、入社してみたいと思うようになりました。
宮崎:それで実際にヤマハの門を叩いたと。入社してからもバイクには乗っていたんですか?
設楽:さすがに他社さんのバイクには乗らなくなりましたが、ずっとバイクには乗っていました。RZ125のあとは『RZ250』を買って、大切にしていたんですけど異動や転勤が多くて、持っているのが大変になってしまって。友達にあげてしまったのは今でも残念ですね。あの2ストロークの時代を作った1台ですから。やっぱりヤマハの2ストエンジンでありRZが、僕のひとつの原点ですね。
あとは『XJ750』も好きでした。これは入社前に限定解除(大型二輪免許)を取ってしばらく乗っていましたが、コンパクトで綺麗な造形でした。入社してから商品企画として『XJ1200』に関わって、750から乗り換えましたけど、これは重くて大変でしたね(笑)
宮崎:今は『XSR900』をお持ちだとか。
設楽:XJ1200のあとしばらくして『MT-07』を買って、その次が今乗っているXSR900ですね。これは軽くて良いですね。400ccくらいの感覚で乗れますから。気に入って乗っています。
◆ビジネス構造がわかってくると商品だけの展開では限界が見えてきた
トヨタ 2000GT宮崎:色とりどりのバイク遍歴からヤマハへの興味につながり、最後には2000GTに後押しされる形でヤマハに入社したわけですね。
設楽:入社試験の最後の役員面談で「なぜヤマハに入りたいのか」と聞かれて、その2000GTについて「インテリアにローズウッドなんか使えるメーカーは日本にはない。会社の経営にはあまり興味がないが、こんなものづくりができるメーカーはいずれ伸びるだろう」というようなことを話したら、面白がってくれたんですよね。
宮崎:入社後は、モーターサイクルの商品企画やブランド戦略に携われてから、マリン事業に長く関わっていらっしゃいました。
設楽:入社してしばらく経ってからですが、2000GTのエンジンを手がけた安川さん(第2技術部長の安川力氏)という方が、今度はマリンをやり出すんです。船外機ですね。そこでまたマリンにも興味を持ち始めまして。そこからマリンのビジネスも知りたいと。だいたいMC(モーターサイクル事業)で入社したらずっとMC、という人が多いんですが、興味を持ったら止められなくて、自分からマリンに行かせてほしいと会社にリクエストしました。30代の頃です。
宮崎:そこにも2000GTが関わっていたとは。マリンへの転身はご自身の希望だったんですね。
設楽:ええ。ですが当時の社長に呼ばれまして「マリンに行ったら片道だぞ」と言われました(笑)王道はやっぱりMCだったので、当時マリンはあまり儲かってはいませんでしたから。
宮崎:今でこそマリン事業はヤマハの屋台骨となっていますが、そんな時代があったんですね。
設楽:マーケットシェア自体は高かったんですが儲かっていなかった。でもやり方次第で儲かるんじゃないかと思ったんです。それまでMCでブランディングをやっていました。そうするとヤマハの製品には色々なものがあることが見えてくる。それでマリンにフォーカスしてみると、やはり信頼性、耐久性といったスペックが実は抜きん出ていることもわかって。
ヤマハ発動機 設楽元文社長宮崎:そこに源泉を見つけたんですね。
設楽:異動したのがちょうどリーマンショックのタイミングだったんです。逆にそれがトリガーになって構造改革をすることができた。そこでコストダウンを徹底的にできて、今はヤマハの中で一番の収益源になっています。そしてその時のノウハウがインドでの事業にもつながってきます。
宮崎:まさにインドでの販売増の起爆剤となったバイクのプレミアム化戦略を牽引したのが設楽社長ですね。
設楽:僕が好きなのはヤマハの商品ですが、ビジネス構造がわかってくると商品だけの展開では限界が見えてきた。商品企画をずっとやり続けるというのもひとつの道だったんですが、財務の勉強をしたりだとかさまざまな事業に興味を持ったことで視野が拓けた。会社に入ってからの方が勉強しましたよね。
宮崎:興味を持ったらとことん突き進む、それも一点だけを深掘りするだけじゃなくて、広い視点でビジネスを捉えていたからこそ今のヤマハの原動力となってこられたんですね。ひたすらチャレンジの歴史だった。
設楽:(他部署に)いきなり飛び込んでいくので、周りの人は僕のことをほぼ知らないわけですよ。いきなり来て、偉そうなことを言うなこいつはとか(笑)でも、すごい楽しかったですよ。そういう環境で、それまでのしがらみに囚われずにできるということが。
◆ヤマハってこういう会社だよねって語ってもらえるような社員を増やしたい
レスポンス宮崎壮人副編集長(左)とヤマハ発動機 設楽元文社長(右)宮崎:それにしても、これまで技術者をはじめ、ヤマハの社員さんたちとは取材を含めて色々なお話しをさせて頂いているんですが、皆さんやっぱりヤマハが好きですよね。社長のように、好きだからこれをやる、っていうのがすごくはっきりしている会社なのかなと思います。
設楽:社員のみんなも同じですよ。ただビジネススキルをどう磨くか、というのは人それぞれ。ひとつのことに集中する人もいれば、僕のように興味がどんどん広がってチャレンジして、ビジネス側もやるっていう人もいる。また新しく入ってくる人たちは、すごくフラットに会社を見ていると感じています。
宮崎:フラットですか。
設楽:深く入っていくというよりは、「選択肢のうちのひとつ」という考え方。そういう意味では宮崎さんが言ったような「ヤマハの独自性」みたいなものは薄まっているようにも感じています。逆に言えば、他の会社でも通用するんだろうなと。でも本当にウチに居るべきなのかな、というかヤマハならではの強みみたいなものが薄れていることを僕は気にしていて。
ヤマハ発動機 設楽元文社長宮崎:それは技術系でもですか。
設楽:多分、日本企業は今どこもそうなのかな、と。最近は転職のコマーシャルが多いですよね。キャリア採用でいい人材を取りたいというのは当然、どこの会社さんも同じで。機会が増えるのは良いことですが、じゃあ各社の中に本当の強みだとか、この会社で何をやりたいという熱意だとか、僕がこれまで考えてきたようなことではなくて、株価や収益性だとか、この会社に入ればキャリアに1行追加できるな、とか。個人のキャリアアップとしてはまったく否定をするつもりはないですが、ヤマハにせっかく入ったのであれば、やっぱりそのカルチャーを知って感じてほしいなとは思います。
宮崎:社長は就任時に、「日頃社員に対して、製品に自ら触れて楽しむことやオフの時間を大切にすること、真剣に遊ぶようにと伝えている」とおっしゃっていましたね。
設楽:はい。なので、社長になって一番最初にやったのが、鈴鹿8耐に新入社員全員を連れていったことなんです。人事のメニューだと、英語の点数だとか、PLの見方だとか、人材育成の話だとかデスクワークのやり方だとか、そういうどこの会社でもやることが多いですが、8耐になんで連れて行ったかというと…まず時間が長くて大変ですよね。
鈴鹿8耐2025宮崎:今年は特に気温も高かったですしね。
設楽:「新入社員」っていうのは人生に一回しかないんです。そのたった一回の印象に残るじゃないですか。「8時間、暑かったね、大変だったね」とか、それで良い。でも座学では絶対に体験できないこと。会社の社是や企業理念は、だんだん染み付いていけば良いんです。たとえば、社是の話なんて家で家族に話したりしないですよね(笑)でも、8耐に行ったという話ならするかもしれない。しかも青いシャツを着て帰ってきたりすれば、「それは何?」って話題になるでしょう。そうするとヤマハというブランドが家庭の中に入っていくんですよね。少なくとも気にしてくれるかもしれない。これがひとつ。あとは、僕は半分くらいビジネスマンなので…
宮崎:半分どころではないと思いますが(笑)
設楽:会社の金庫株を全部放出しようと思って、社員にあげようというプランを作っています。
宮崎:それはすごいですね。
設楽:そうすると何が起こるか。会社の経営に興味が出るんです。社長が一生懸命に「今の決算はこうですよ」って説明しても皆んな“右から左”かもしれないけど、株を持つことで、自分の株がいくらになったか気になるでしょう。もしかしたら社長の言うことや経営に文句を言いたくなるかもしれない。ウチの経営はどうなっているんだと。今、持ち株比率は40%くらいですが、これを70%、80%、90%にしたい。買ってください、といってもなかなか上手くはいきませんよね。それならば社員にしっかり還元して、しかもヤマハという会社の経営に興味を持ってもらう。
宮崎:自分が働く会社の経営を自分ごとにするということですね。
ヤマハ発動機 設楽元文社長設楽:そう。コストってそういうもので計るべきなんです。経営ですから浮き沈みはありますが、会社に興味を持たせるためにはどうするべきか、というのを考えないとダメ。社員がバイクのことを好きになったり、8耐に行ってみたり、株を持って経営に参加したり…それは工場勤務でもデスクワークでも関係ないんです。僕にとっては、そういうことを学ばせてくれたのがヤマハ。さっき宮崎さんがヤマハの人たちは思いが強い、と言ってくれましたが、そういう人たちをもっと増やすためのチャンスを今いただいているのだと思っています。
1年、2年で収益性を上げる、結果を出すっていう説明を重心かけてやらなければいけないですが、同時にちゃんとヤマハを好きな人を増やしながら、そしてそれを本気で周りにアピールできる人材を育てていく。そうすれば製品愛も生まれるし、ブランドとしても筋が通ったものづくりができるんじゃないか。せっかくヤマハに入った以上は、ヤマハってこういう会社だよねって語ってもらえるような社員さんを増やしたいと思っています。
宮崎:そのためには「真剣に遊ぶ」ことも大事だと。これからのヤマハが楽しみですね。今日はお忙しい中、ありがとうございました。
設楽:ありがとうございました。
◆「バイク好き社長」と「ヤマハ愛」あふれる社員たちから生まれるもの
XSR900の設楽社長と、MT-09 Y-AMTの宮崎副編集長この日、わずかな時間ながら設楽社長とバイクで走る時間を頂いた。「最近は全くバイクに乗れていないんですよ」と嘆いていたが、いざ最新のXSR900に跨るとブランクを感じさせない流石のライディング。
「若い頃にヨーロッパで言われたのは、ヤマハの社長たるもの絶対バイクに乗り続けないとダメだと。ヨーロッパではバイクが文化として根付いているからこそのアドバイスだったと思う。バイクには当然ビジネスとして関わっているんだけど、“楽しい”や“好き”をもっと我々も個人としてアピールしていかないと」と話していた設楽社長。こちらも最新の『MT-09』でY-AMTのダイレクトなシフトに任せながら後を追うが、ワインディングをひらりひらりと駆け抜けていく後ろ姿は「水を得た魚」そのもので、3つのコーナーを抜けた先にはすでに後ろ姿さえ見えなくなっていた(筆者がペーペーなのも大きな要因ですが)。
「バイク好き社長」のもとで、そして「ヤマハ愛」にあふれた社員たちから生まれる今後のヤマハ製品がさらに“FUN”なものであることは疑いようがないだろう。
また、実はこの対談が始まる直前、設楽社長からレスポンスの収益構造や立ち位置について根掘り葉掘り“逆インタビュー”をされた。「僕はビジネスマンなんでね」とにこやかに話す設楽社長だったが、対談の中でも語られたように興味のあるものには分野やジャンルを問わず、恐れず挑んでいく方なのだということを実感した一幕だった。また、趣味も、仕事も常に表裏一体にあって、まさに「真剣に遊ぶ」ことを体現している方でもあった。
「感動創造企業」を企業理念として掲げるヤマハ発動機。新体制ではどんな感動を提供してくれるのか、その一端が見えたような気がした。
ヤマハ発動機 設楽元文社長(左)とレスポンス宮崎壮人副編集長(右)■設楽元文(したら もとふみ)
生年月日:1962年10月29日生まれ
出身:埼玉県
趣味:ツーリング、キャンプ、読書、スイミング、靴磨き
座右の銘:雨ニモマケズ、風ニモマケズ…
愛車:ヤマハ XSR900、SR400
経歴
1986年:ヤマハ発動機株式会社入社
1986年:卸営業 神奈川・埼玉・千葉
1993年:MC(モーターサイクル)商品企画
1999年:経営SG ブランド戦略担当
2003年:ME商品企画、ME事業企画、ME事業部
2016年:ME事業部長 執行役員
2017年:企画・財務本部 副本部長 執行役員
2018年:ヤマハモーターインディアG 会長、(兼)社長 執行役員
2022年:コーポレート担当 取締役 上席執行役員
2024年:代表取締役 副社長執行役員 CFO
2025年:代表取締役 副社長執行役員 CFO コーポレート担当
2025年:代表取締役社長 社長執行役員 CEO










