【日産 スカイライン 200GT-t発表】歴代スカイラインが一堂に会した歴史絵巻[写真蔵]

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昭和32年4月。発表の場所も日比谷宝塚劇場を使い、ショー形式の発表会を日本車として初めて行ったのが初代スカイラインだった。1.5リットルOHVの4気筒エンジン搭載。因みにこの年100円硬貨が誕生した。現天皇陛下の愛用車でもあった。
  • 昭和32年4月。発表の場所も日比谷宝塚劇場を使い、ショー形式の発表会を日本車として初めて行ったのが初代スカイラインだった。1.5リットルOHVの4気筒エンジン搭載。因みにこの年100円硬貨が誕生した。現天皇陛下の愛用車でもあった。
  • 1963年に誕生。そして1年後、上級モデル、グロリアから移植された2リットル直6エンジンを積んだスカイラインGTが登場する。さらに1年後、日本グランプリ制覇を目論んでより高性能化されたモデルが誕生した。2台のGTは2000GT-Aと2000GT-Bとして区別された。第2回日本GPにおけるポルシェとのバトルは伝説となっている。
  • 1968年に誕生。2か月遅れで高性能な6気筒エンジンを積んだ2000GTが誕生する。すでに第2回日本GPでの活躍から、サーキットの雄としての存在を宿命づけられていたスカイラインは、1969年、最強のモデルGT-Rをこの3世代目で初めて投入した。そのエンジン、レーシングカーのR380から移殖されたS20型DOHC6気筒であった。
  • ケンとメリーのスカイラインというCMで有名になった4代目。登場は1972年。この世代でもGT-Rは1年遅れで登場したが、時あたかも排ガス規制が厳しくなり、規制クリアに開発勢力を投入したことからレースから撤退。GT-Rの生産も僅か197台を持って打ち切られることになった。レースイメージが無くなったにもかかわらず、この4代目は歴代最高となる累計販売66万台を達成している。
  • GT-Rの設定が無くなり、スポーティー色がどちらかといえばラグジュアリー色に塗り替えられたのがこの世代。4気筒エンジン搭載車も存在したが、主力は6気筒。CMのキャッチコピーはスカイラインJAPANであった。また、ターボモデルが誕生したのもこの世代からだ。
  • 1981年に登場したのが6代目のモデル。CMに俳優のポール・ニューマンを起用したことからニューマン・スカイラインと呼ばれた。写真のモデルはこの世代で登場した最強のスカイライン、RSターボ。市場からはやはりGT-Rの復活が求められていたようで、それに対する日産の答えがこれ。ただし、FJ20ETと呼ばれたエンジンは4気筒ターボだったため、GT-Rの名は使われなかった。
  • スカイラインの生みの親ともいえる桜井信一郎氏が開発に関与した最後のスカイライン。7代目であることからセブンス・スカイラインとも言われた。登場は1985年。スポーツセダンあるいはハードトップという宿命づけられたイメージは、210馬力を誇るRB20DETユニットを誕生させたが、GT-Rは名乗らなかった。この世代では革新的な4輪操舵システム、HICASなどが採用されいてる。
  • 社内呼称R32がそのまま、一般的にも使われた8代目。デビューは1989年で、ついに4代目以降途切れていたGT-Rが16年ぶりに復活した。それと同時にレース活動にも積極的に関与し、このR32GT-Rは大いなる成功を収めた。因みに写真のモデルはGTS25と呼ばれる2.5リットル直6エンジンを搭載したセダンだ。なお、復活したGT-Rは4WDとなっていた。
新しい、『スカイライン200GT-t』の発表会場には、過去12世代のスカイラインすべてが顔を揃えていた。これほど長い歴史を途絶えることなく紡いできた日本車も珍しい。

まだまだ日本の自動車産業がヨチヨチ歩きだった時代からスカイラインはモータリゼーションをリードし、そして技術革新を大いに進めたレースにおいても大活躍したクルマである。誕生は1957年のことだから、すでに今年で誕生57年目を迎えた。海外のメーカーでは50周年を盛大に祝うモデルが多い中、その節目を通り過ぎてしまったが、改めて日本の自動車誌に確かな歴史を刻んできたスカイラインを世代ごとに写真で紹介する。
《中村 孝仁》

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