31年ぶりの硬券入場券が過疎の町の起爆剤に!?…JR北海道新十津川駅

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新十津川駅の硬券入場券復活を主導した「新十津川駅を勝手に応援する会」の三浦さん。普段は建設会社の役員をされているそうだ。
  • 新十津川駅の硬券入場券復活を主導した「新十津川駅を勝手に応援する会」の三浦さん。普段は建設会社の役員をされているそうだ。
  • 20分程度並んでようやく購入できた硬券入場券。31年ぶりのご対面だ。
  • 購入した硬券入場券は、このような別売の台紙セットに収めることができる。裏面のナンバーが0001となっている入場券が収められている台紙。
  • 駅前のお休み処「寺子屋」に掲げられた入場券再版の横断幕。
  • 列をなして入場券を求める人々。大半は札沼線以外で来た人たちだ。
  • 購入希望者は列に加わってから購入整理券をもらい、番号順に購入する仕組み。
  • 4月1日は9時から販売を始め、10時過ぎには予定の600枚が完売したという。
  • 「終着駅まんじゅう」などの特製品も並ぶ入場券販売ブース。

2016年3月26日は北海道新幹線が開業する一方で、函館本線の桑園を起点とする札沼線(学園都市線)の終点・新十津川駅が、日本一早く最終列車が出る駅となった。それから早くも1年が経過した。

この日本一は、浦臼~新十津川間で3往復あった列車が2往復減らされた結果を受けてのものだったが、以来、新十津川駅はこれまでにない注目を浴びるようになった。そして遠路はるばるこの駅に来た人々が異口同音に言うのは「何か記念になるものはないか?」だった。

新十津川町では、そうした声に応えるために、「新十津川駅到着記念証明書」を配布していたが、「できれば硬券入場券が欲しい」という声も多く聞かれたという。わが町の駅が注目されていることに気をよくした新十津川町は、町おこしの有志団体「新十津川駅を勝手に守る会」と連携、JR北海道と粘り強く交渉した末、硬券入場券の発売にこぎつけた。販売はJRの社員によるものではなく、「新十津川駅を勝手に守る会」のメンバーが中心になって行なう委託販売のような形が採られた。

新十津川駅が無人化されたのは、国鉄の分割民営化を翌年に控えた1986年3月のこと。一度無人になった駅の硬券入場券を発売することはほとんど前例がなく「はたして売れるのか?」とJR北海道は懐疑的だったというが、1000枚分の代金17万円をJR北海道へ前納するという条件で売り始めたところ、発売初日の4月1日は用意した600枚が1時間少々で完売した。残る400枚は翌2日の発売に備えてキープされていたが、初日の勢いに関係者は「残りも時間の問題」と手応えを感じていた。

新十津川駅がある札沼線北海道医療大学以北は、2015年度の営業係数が2213(100円を稼ぐのに2213円かかる)で、2016年12月に留萌本線留萌~増毛間が廃止されてからはワースト1となっている。JR北海道が明らかにしている「単独では維持することが困難な線区」の最右翼であり、硬券入場券復活を主導した「新十津川駅を勝手に守る会」の会長・三浦光喜さんは「このままでは鉄道地図から町の名が消えてしまう」と危機感を滲ませていた。

JR北海道では「単独では維持することが困難な線区」を仮に廃止しても、沿線に対して観光振興の支援を行なうことを表明しているが、「まずは地元が率先してなんらかの手を打つべきだ」と三浦さん。新十津川駅は1日1本しか列車が発着しないため、自ずと車やバスなど、他の交通手段で来てくれる人を呼び込む必要がある。その点で三浦さんは「どんなに過疎でも人の流れを絶たないことが大切」と言い切る。誰もが知る有名な土地を巡る「大きな観光」ではなく、札沼線沿線を巡るような「小さな観光」も訴求していく必要があるのではないかと力説していた。

筆者が見た限り、31年ぶりの硬券入場券発売は意外なほど大盛況に思えた。筆者が駅に来たのは、新十津川駅唯一の下り列車・5425Dが9時28分に到着した後で、その時点で配られた購入用の整理券は175番。1回あたり2枚まで購入できるから、実質的には300分の175番目ともいえ、ちょうど半分を過ぎたあたりだった。

関係者によると、実際には何回も並び直して買う人もいたので、購入者の実数は300人程度だったのではないかということだ。5425Dが満員でも100人足らずだから、明らかに札沼線以外で来た人が圧倒的多数を占めていたことになる。新十津川駅は1日の利用者数が10人以下に分類されているから、その30倍もの集客はまさに硬券入場券サマサマだ。

これまで何度も新十津川駅を訪れていたが、長蛇の列を作る群衆を見たのは記憶にない。他にも鉄道グッズや使用済みキップ、鉄道雑誌のバックナンバー(1冊30円)の販売など、マニアが喜んでお金を落としてくれる仕掛けがそこかしこにあり、これまでにない、人を呼び込む本気度が感じられた。

そんな様子を見ながら「これだけ遠くから来てくれる人がいる。それに応えられることを、迅速かつ臨機応変にできれば、もっと人が集まるはず」と言う三浦さん。今回の硬券入場券復活が新十津川町のみならず、過疎に悩む北海道各地の起爆剤になってくれればと期待を述べていた。同じマニアとしては、今回の実績がJR北海道や新十津川町をさらに動かし、第2弾、第3弾とシリーズ化できるよう祈りたいものだ。

《佐藤正樹(キハユニ工房)》

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