【池原照雄の単眼複眼】ホンダ、史上最年少の開発リーダーに託した軽スポーツ

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S660開発責任者の椋本陵氏
  • S660開発責任者の椋本陵氏
  • 本田技術研究所 椋本陵 LPL
  • ホンダ S660 プロトタイプ
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  • ホンダ S660
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22歳での任命に思わず「マジっすか」

ホンダは3月30日、軽自動車のオープンスポーツカー『S660』を発表した。1996年に販売を終了した『ビート』以来、19年ぶりの軽スポーツ復帰となる。クルマとともに注目を集めるのが、ホンダ史上最年少となった開発責任者の存在だ。

この人は本田技術研究所四輪R&DセンターLPLの椋本陵氏(26)。LPLは社内用語の「ラージ・プロジェクト・リーダー」の略であり、開発の全権を握るリーダーを意味する。2011年に22歳で、S660のLPLに任命された時は「えー、マジっすか」と思わず心の中で叫んだという。LPLといえば「ずっとカリスマ的存在だった」のだから無理もない。

小学生の時に見たホンダ『S2000』のTVコマーシャルで、スポーツカーとホンダが好きになり、工業高校の機械科を卒業した2007年に念願叶って本田技術研究所に入社。以来、試作車のモデラーとして木型製作などに携わっていた。S660開発への転機は2010年。研究所の創立50周年を記念した新製品提案コンペに軽スポーツを提案すると、何とグランプリに輝いたのだ。

◆クルマとの対話を楽しむスポーツカーを造りたい

「スポーツカーはパワーというイメージだが、クルマとの対話を楽しむ、またクルマと一体になって道を楽しむ――そんなスポーツカーもあって良いのではと思った」のが提案の動機だ。ただし、コンペでグランプリになれば即商品化という決まりではなかった。幸運だったのは当時、ホンダは伊東孝紳社長が軽自動車事業をテコ入れする方針を打ち出し、「Nシリーズ」の開発が着々と進んでいた。少ない予算で製作が許されたオープンスポーツの試作モデルに乗った伊東社長は、「走ると面白くてね。直ぐにやろうと指示した」と振り返る。

研究所でプロジェクトメンバーを公募すると150人ほどが手を上げた。そのうちの約15人でチームは発足、平均年齢は30代前半だった。椋本LPLの経験不足を補うため、「LPL代行」として安積悟主任研究員(48)ら2人のベテラン技術者も加わり、技術面だけでなく予算など管理面もサポートしてきた。

だが、プロジェクトは最初から厳しい発進となった。いざ取りかかると、「『スポーツカー』といっても漠然としていて、自分たちが造りたいクルマを明確にする難しさ」(椋本氏)に苦しんだ。そこで、導入したのがホンダ役員室の伝統でもある「ワイガヤ」だったという。

◆伝統の“ワイガヤ”でコンセプトを固める

とに角、メンバーが闊達に論議するよう腐心し、「気がついたら皆で居酒屋に居たということが何度もあった」と椋本氏は笑う。その結果「ひとりでも多くの人が楽しめるスポーツカーを突き詰める」という針路が定まった。メンバーが少ない所帯だからできたのだろうが、「皆さんが自分の専門領域以外でも積極的にコミュニケーションをとってくれた。まさにワイガヤで造り上げたクルマ」と評価している。

椋本氏は入社とほぼ同時にあこがれのS2000を購入、片道12kmほどの通勤すら「運転が楽しくてたまらない」日々を送っている。S660は「スポーツカーの楽しみはサーキットだけではなく、一般道にもある」という持論を満たしてくれる仕上がりになった。

「あえてクルマ離れといわれる同世代の方にも、クルマってこんなに楽しいんだよと発信していきたい」と、満面の笑顔を見せた。ホンダの若いパワーが弾ける姿を久々に見る思いだ。工業高校機械科卒という共通項のある筆者としては、何とも誇らしい技術者であり、謙虚に着実に力をつけられんことを、と願うのである。 

《池原照雄》

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