2001年、スバルはWRCに発売されたばかりの2代目インプレッサを持ち込んだ。ドライバーは00年に4勝を挙げながらシリーズ2位に終わったリチャード・バーンズを筆頭に、ノルウェー期待のペター・ソルベルグ、そしてM・マーティンと新井敏弘である。
スバルチームのドライバー、ソルベルグとヒルボネンは、茶道の体験イベントに招待された。茶室に到着した両名は、さっそく和服の正装に着替え(させてもらっ)て、茶室に移動し、和菓子と渋い抹茶を堪能した。
好調な滑り出しを見せていた世界チャンプ、ペター・ソルベルグ(スバル)は、21日のレグ2・SS12で、コースオフ後にコンクリート縁石に衝突、リタイアした。それまでソルベルグは総合4位につけていた。
前人未踏のドライバーズチャンピオン4連覇を果たすなどWRCに君臨し、昨季限りで引退したラリードライバー、トミ・マキネンが、WRCラリージャパンで、ゼロカー=コース先行のオフィシャルカーをドライブする。
99年はリチャード・バーンズとユハ・カンクネンのコンビでWRCに打って出た。マシンは熟成の域に達した『インプレッサ』だ。序盤戦は99年モデルで戦い、第3戦のサファリ・ラリーでバーンズが勝利を収め、カンクネンも2位になるなど、有終の美を飾っている。
DOHCターボに4輪駆動の組み合わせでは勝てるクルマが決まってしまう、とヨーロッパの自動車メーカーが不満をもらし、2リッター自然吸気エンジンを積む前輪駆動車によるフォーミュラ2、その救済策となったキットカー構想が浮上した。
『インプレッサ』が誕生したのは1992年秋のことである。発表されたばかりのインプレッサWRXはすぐに英国のプロドライブ社に持ち込まれ、ラリー仕様に仕立てられた。
世界ラリー選手権(WRC)に初めて4輪駆動(AWD)車を送り出したのはスバルである。1980年のサファリ・ラリーに、2台の『レオーネ・スイングバック4WD』を投入した。以来、サファリ・ラリーを中心にWRCに挑み続けている……。
スバルワールドラリーチームのミッコ・ヒルボネンは、ラリー・アルゼンチン(15−18日)で、WRCでは自己最高位となる総合4位を獲得した。
7月6日のスバルのRALLY JAPAN参戦発表会については既報のとおりだが、この会場ではデモ走行のあと、同じコースで『インプレッサ』『フォレスター』『レガシィ』のRALLY JAPAN開催記念特別仕様車の試乗会も行なわれた。
RALLY JAPAN 2004 SUBARU参戦発表会(7月6日:東京晴海ふ頭特設会場)のメインイベントともいえる、WRCドライバーらによるデモ走行の模様をお伝えする。
新井敏弘選手は、WRカーでの参加も期待されていただけに、自ら率いるチームがエントリーしているPCWRCのタイトルがかかっていないラリー・ジャパンでグループNでの参加は少々残念だが、と。
6日に開催された、スバルのラリー・ジャパン2004に対する参戦発表会では、各スバルチームの参加ドライバーによる挨拶と参戦への意気込みが披露された。STIの考えるスバルチームは、若々しくハングリー精神に溢れること。
来る9月3日−5日、北海道にて、日本で初めてとなるWRC=世界ラリー選手権が開催される。正式なエントリー受付も始まっている中、6日、東京の晴海ふ頭の特設会場にてスバルの参戦体制についての発表会が行われた。
富士重工業は、2004年WRC(世界ラリー選手権)ラリージャパン開催を記念して特別仕様車「WR-Limited2004」を、スバル『フォレスター』に設定して5日から発売した。