電気自動車(BEV)となれば、テスラ(アメリカ)のほか、BYDなど中国勢の新興プレーヤーに注目が集まるが、そんな中で急速に存在感を高めているのがベトナムの「VinFast(ビンファスト)」である。
2023年に米ナスダックに上場後、一時は時価総額がテスラやトヨタに次ぐ世界第3位となったほど。VinFastとはどんな会社なのか?
◆空港を埋め尽くす「V」マークのタクシー

ベトナムの首都ハノイに到着して空港ロビーを出て、そこで目にしたのはコバルトブルーのボディカラーに身を包んだタクシーたち。それらのクルマのフロントグリルには大きめの“V”マークが見える。これはベトナムで今、販売台数がもっとも多い自動車メーカー「VinFast」のエンブレム。これを付けたクルマが空港のタクシー待ちにズラリと並んでいたのだ。
私は6年前の2019年にハノイを訪れている。その時、街中を走っていたのはトヨタの『Vios』(『ヤリス』の4ドアセダン版)やヒョンデの『i10』といった小型車が中心で、そこに多人数乗車のトヨタ『イノーバ』を稀に見かけるといった状況で、タクシーにしても間違いなく日本車や韓国車で占められていた。しかし、この間に状況は一転、タクシーに限ればすっかりVinFastに取って代わられていたのである。この6年間に何があったというのだろうか。
◆ドイモイ政策から始まった経済成長とVinFastの躍進

ベトナムは今、総人口が1億人を突破し、著しい経済成長を遂げている。そのきっかけとなったのは、ベトナム戦争が終結した10年後の1986年に実施された「ドイモイ政策」で、これ以降ベトナムは、社会主義体制を維持しながら市場経済を導入する方向へと舵を切った。以来、欧米各国の投資が始まったわけだが、近年は政治的な意味合いもあって、生産拠点をベトナムに移す欧米企業が増加。それに伴ってベトナム経済は急速成長し、国民の生活水準は大きく向上することとなったのだ。
この流れに乗って急成長を遂げたのが、ベトナム最大の財閥企業グループ「VinGroup(ビングループ)」。このグループは不動産をはじめ、医療や教育、小売、IT、農業といったあらゆる領域に事業を展開しているが、その中でモビリティ事業として2017年、新たに設立したのがVinFastである。とはいえ、自動車を生産する能力を身につけるには相応の時間を要するはず。しかし、そこに力を発揮したのが財閥としての豊富な資金力だった。
車両のデザインではイタリアのピニンファリーナと契約し、車両開発に必要な技術はドイツのBMWから購入。さらにサプライヤーとしてシーメンスやボッシュ、クアルコムなどとも提携し、海外から技術者も引き抜くなどして開発体制を整えた。そして、生産や販売についても、当時ベトナム国内で展開していたアメリカGMの「シボレー」を買収。ゼロからのスタートとは思えないスピードで自動車メーカーとしての基盤を築き上げたのだ。
◆タクシー市場を起点に広がるVinFastの戦略

時流に合わせた方針転換も素早い。当初はガソリン車からのスタートだったが、時代が電動化にシフトしていると判断するや、2021年には同社初のBEV『VF e34』を発売し、翌2022年にはBEV専業メーカーへと方針を転換した。すでに欧米や中東にも販売拠点を展開し、ASEAN地域への進出も狙うなどして、2025年中にはグローバルで年間50万台体制を敷く計画を掲げている。
そんな中でその普及の先鋒として進められているのがタクシー業界だ。冒頭、空港で並んでいたコバルトブルーのタクシーは、ビングループのグリーン&スマートモビリティ(GSM)がBEVに特化したタクシー事業「Xanh SM(ザンエスエム)」として、2023年から展開しているもの。ジェトロ(日本貿易振興機構)によれば、VinFastは2024年末までにベトナム国内では約3万台以上を販売していたが、その大半がタクシーに投入されたという。
ベトナムではマイカーはまだ一部の富裕層に限られているだけに、街を走っている車両のおそらく6~7割は黄色いナンバーを付けた営業車、つまりタクシーあるいはライドシェアの「Grab」カー。マイカーとは違って、それらは常に街を走っているわけで、それは広告塔としても有効性は高い。つまり、まずはここでシェアを奪うことで存在感を高め、販促活動につなげようとしたと推測される。
◆充電インフラへの巨額投資が示すVinFastの本気度

驚かされたのは、そのためにVinFastは充電インフラにも多大な投資をしていることだ。たまたまランチを食べるために、ビングループ系のショッピングモールに出掛けたのだが、そこには多くの急速充電器が並んでいた。その数はなんと60基! そのすべてが60kWの出力を備えていた。しかも1基で2口を用意しているから、同時に使えば出力は下がるものの、最大120台が同時に充電できる環境を整えていたのだ。
それだけじゃない。その背後を振り返ると電動二輪車用の充電器も備えられていて、こちらはあまりの多さに台数を数える気にもなれなかった。おそらく100基ぐらいはあったのではないだろうか。

ただ、それらの利用率は多く見積もっても2割程度。ガラガラなのだ。それもタクシーとGrabカーがほとんどで、マイカー利用は一部しか使っていない。つまり、BEVがマイカーとしてあまり普及していないことがここからもわかる。実際、街を行き交うクルマを見てもBEVはほぼタクシーとGrabカーだけで、マイカーでのBEVはほとんど見かけない。
◆VF3が切り拓くベトナム“国民車”への道

そんな中で、気になるクルマの存在がベトナムにはあった。それがSUV型コンパクトBEV『VF3』である。このクルマ、デビューは2024年1月に米国ラスベガスで開催された世界最大のIT家電見本市「CES 2024」だった。VinFastはここに初出展し、ベトナム発の世界戦略車としてVF3をデビューさせたのだ。そして、その年の5月にベトナム国内で予約注文を受け付けると、なんと66時間以内に2万7000件以上の受注を獲得。以来、ベトナムでの販売台数ランキングでは常に上位に入る人気ぶりで、それはVF3が“国民車”として十分な資質を備えていたからとも言えるのだ。
では、このVF3とはどんなクルマなのか、ハノイ市内のVinFastディーラーを訪ねてみた。ボディサイズは全長3190mm×全幅1680mm×全高1620mmで、車幅や全高は一般的な小型SUVに近いが、全長は極端に短い。それでもホイールベースを2075mmとして、車内スペースを最大限に確保しつつ、ベトナムの道路事情を考慮して取り回しの良さも両立させることとなった。

特にVF3を見て感じるのが、素直にカッコイイ! クルマに仕上がっていたことだ。最低地上高を191mmとしながら、16インチの大径ホイールを足元に組み合わせたことでSUVらしさを上手に作り上げているのだ。最大のネックは全長が短い故に後席に大人が座るのはかなり難しいということ。しかし、営業マンによれば、「VF3がターゲットとするユーザー層は若い世代であり、そうした層には充分に受け入れられている」と話す。
しかも、VF3にはバッテリーをサブスクリプションとするユニークなグレードを用意している。バッテリー込みの車両価格は3億2200万VND(約198万円)となるが、このサブスクリプションであれば50万円ほど安い2億4000万VND(約148万円)で買える。この場合、走行距離に応じて料金が発生するわけだが、初期費用が安いことはマイカー導入のハードルが下がる。これもVF3が若い世代に受け入れやすい理由の一つになるだろう。
◆実際に試乗してわかったVF3の完成度

走ってはどうなのか。残念ながらベトナムでは運転することはできなかったが、実は2025年2月、ジャカルタで開催されたIIMS2025の会場エリア内でこのクルマを運転できるチャンスに恵まれた。最高で40km/h程度しか出すことはできなかったが、試乗コースにはスラロームや段差を体験する場が設けられ、ここを2回ほど周回して走りを楽しんだ。
その結果は想像以上の仕上がりに驚かされた。BEVだけにスタートも力強くスムーズで、スラロームでもクイックで気持ちよく曲がれる。乗り心地も良好で、段差を通過しても不快さはほとんど感じなかった。これで200万円以下で買えるとは驚きでしかない。技術を買えば、ここまでのクルマが簡単に作れてしまうBEVの怖さも改めて実感した次第だ。
◆BEV化の課題とVinFastの未来

では、このままVinFastによってベトナムのモビリティがBEVで占められていくのだろうか。実際はそう簡単ではないと思う。その理由はほとんどの家庭の電力がエアコン1台を動かすのが精一杯の契約でしかないという状況があるからだ。そのため、BEVを購入しても急速充電器まで走るしかなく、これは集合住宅に多くが住んでいる日本の都会の事情と、ある意味似た状況にあると言っていいだろう。
それでもVinFastはこのVF3を、バイクに置き換わる次世代の交通ソリューションと位置付ける。その一環がショッピングモールでの急速充電設備の整備なのだろう。現時点でこそ販売台数ではガソリン車が大半を占めるベトナムにあって、これをきっかけとしてBEVがベトナムのモータリゼーションに根付いていくのか。今後の成長が期待されるベトナムだけに、その動向からは目が離せない。