悲劇の名車? 4年弱で販売終了した『ユーノス500』【懐かしのカーカタログ】

ユーノス500
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発売は1992年2月だったから、今年でちょうど30年前。けれど日本でのモデルライフは1996年までと4年足らずで販売終了となった、何とも惜しいクルマがこの『ユーノス500』だ。

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ご承知のとおり“ユーノス”は、初代『ロードスター』の発売とともに発足した販売チャネルだった。そのユーノス専売車の1台として登場したユーノス『500』は、『クロノス』『クレフ』『MS-6』などの兄弟車のなかで唯一の5ナンバー車。ちなみに複数の3ナンバー車は、残念ながらいずれも市場での評価が高まらず、それを受けて94年に急遽発売されたのが、5ナンバーボディの6代目『カペラ』だった。

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一方ユーノス『500』は、『ペルソナ』の兄弟車として89年に発売されたユーノス『300』の後継車種の位置づけ。メイプルレッドMCと呼ばれる落ち着いた臙脂色のボディ色を訴求色に、5ナンバーのセダンながら上質感を打ち出していた。高機能ハイレフコートと呼ぶ、高鮮映鋼板の上に中塗り、上塗り、新硬化クリアコートからなり、独自の回転焼き付け技術を用いて塗り上げた、まさに艶やかで強く長寿命な塗装も奢られた。

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「ランチア・アウレリアのような雰囲気」とは当時のマツダのデザインを見ていたKさんの話だったが、エレガントさにかけて際立った存在で、ユーノス・チャネルの終了とともに4年足らずでカタログから落ちてしまったのは本当に残念だった。

なお上質さというテーマは走りにも貫かれ、登場時の搭載エンジンはすべてV6(2リットルと1.8リットル)だった。カタログのヨーロッパの風景に置かれた『500』の姿は、今見ても息を飲むほどに美しい。

《島崎七生人》

島崎七生人

島崎七生人|AJAJ会員/モータージャーナリスト 1958年・東京生まれ。大学卒業後、編集制作会社に9年余勤務。雑誌・単行本の編集/執筆/撮影を経験後、1991年よりフリーランスとして活動を開始。以来自動車専門誌ほか、ウェブなどで執筆活動を展開、現在に至る。便宜上ジャーナリストを名乗るも、一般ユーザーの視点でクルマと接し、レポートするスタンスをとっている。

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