「オペルと言えば?」と訊かれて思い浮かぶクルマは【懐かしのカーカタログ】

オペル・カデット
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日本市場への再(々?)参入が予定されているオペル車。かつてはヤナセが取り扱った時期も。そこで今回は「オペルといえば?」と訊かれて(世代にもよるだろうが)思い浮かぶ車種を当時のカタログから取り上げてみた。

カデット(1984年)

オペル・カデットオペル・カデット
ヤナセが扱っていた時代に『アストラ』があったが、『カデット』はその前身にあたるモデル。初代の登場は戦前の話だが、日本では4代目の、いすゞ『ジェミニ』のベースとなったGMの“Tカー(『カデットC』)”の時代が有名だった。

オペル・カデットオペル・カデット
カタログで取り上げたのは『カデット』名義では最後となった6代目で、VW『ゴルフ』の競合車として、実用車ながら、見てのとおり空力ボディを纏ったのが最大の特徴。Cd値=0.32は、1200時間の風洞実験から生まれたという。

オペル・カデットオペル・カデット
ラインアップは日本市場でも意外と幅広く設定され、ボディタイプは3ドアと5ドアのハッチバックのほか、ノッチバックの4ドアサルーン、ワゴンのキャラバンがあった。エンジンは1.6リットル、2リットルのほか、スポーティモデルのGSiには2リットルのDOHC16バルブを搭載した。

マンタ(1975年)

オペル・マンタオペル・マンタ
『マンタ』の初代は1970年の登場。当時の日本のクーペやハードトップもそうだったような、典型的な2ドアのスタイリングをもっていた。写真はその2代目で1975年のお目見えし、初代と較べるとずっと先進的なスラッとしたスタイルへと一新。そのイメージは、さらに空力性能が磨かれた後継車種の『カリブラ』へと受け継がれた。

オペル・マンタオペル・マンタ
WRCに投入された“400i”は、コスワース製の2.4リットルのDOHCエンジンを搭載、イルムシャーがサスペンションチューンを施したモデルだった。写真の白いクルマはGSiで、チェック柄のレカロシートやウレタン製の指で押すと柔らかいことがわかるトランクスポイラーなどを装備。

日本ではカタログに載ることはなかったが、バックドア付きのファストバックの『マンタcc』も本国では存在した。

アスコナ(1981年)

オペル・アスコナオペル・アスコナ
写真のような日本仕様のカタログが用意され、日本市場でも売られたクルマだったが、実はGMの“Jカー”であり、日本では初代のいすゞ『アスカ』が、このクルマとは兄弟車の関係にあった。オペル車としてはFFを採用した初期のモデルでもあった。我々がよく知る『アスカ』同様に、派手さはないが室内は広い、実直なセダンだった。

セネター/レコード(1977年)

オペル・セネターオペル・セネター
オペル・レコルトオペル・レコルト
ともにオペルのアッパー、ミドルクラスを担うセダン。後に次世代のモデルとして登場する空力ボディの『オメガ』の原形といったスタイルで、『セネター』は6気筒エンジン(2.5リットルと3リットルがあった)を搭載、『レコード(一般的には“レコルト”と発音、表記した)』には4気筒の2リットルエンジンを搭載。スタイルの雰囲気からも伝わるようにゆったりとした室内空間、乗り味が特徴だった。

《島崎七生人》

島崎七生人

島崎七生人|AJAJ会員/モータージャーナリスト 1958年・東京生まれ。大学卒業後、編集制作会社に9年余勤務。雑誌・単行本の編集/執筆/撮影を経験後、1991年よりフリーランスとして活動を開始。以来自動車専門誌ほか、ウェブなどで執筆活動を展開、現在に至る。便宜上ジャーナリストを名乗るも、一般ユーザーの視点でクルマと接し、レポートするスタンスをとっている。

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