先頃、7代目に当たる次期『フェアレディZ』のプロトタイプがお披露目された。見れば、歴代モデルの要素が随所に。そこで今回の「懐かしのカーカタログ」では、スタイリングを中心に歴代モデルを振り返ってみたい。
初代・S30(1969年)
日産 フェアレディZ 初代・S30(1969年)
英国調だったオープンの『フェアレディ』から、ロングノーズ/ショートデッキの“ズィー・カー”のプロポーションを確立。サファリラリーでは『ダットサン240Z』が優勝を果たす。カタログは後期型で外観ではテールランプ形状などが新しい。
日産 フェアレディZ 初代・S30(1969年)
また「432」「240Z G」はモーターショーのパンフレット(’70年、’72~’73年)より。当時小学校高学年だった筆者のまわりには“フェアレディZ派”と“トヨタ2000GT派”がいたのを思い出す。
2代目・S130(1978年)
日産 フェアレディZ 2代目・S130(1978年)
カタログの表紙のロゴは初代と同デザイン(筆者はノートの端にこのロゴをよく悪戯書きした)、プロポーション、デザイン要素は踏襲しながら、より豪華志向に一新。初代に対し、ホイールベースの延長分は2by2のほうが大きかった(2520→2605mm)。
日産 フェアレディZ 2代目・S130(1978年)
当初の搭載エンジンはL28E型とL20E型。2リットルにはターボも登場した。一部グレードにミシュランXVSを装着。日本車初のTバールーフも設定された。
3代目・Z31(1983年)
日産 フェアレディZ 3代目・Z31(1983年)
平行上下式のパラレルライジングヘッドランプを世界初採用。搭載エンジンを従来の直列6気筒からVG系のV6に一新。2リットル、3リットルともにターボ化。さらに直6ターボ(RB20DET型)も登場した。
日産 フェアレディZ 3代目・Z31(1983年)
途中、NDI(日産の北米デザイン拠点)デザインによる“エアログラマラスフォルム”へと、外観の大幅マイナーチェンジも実施。このとき全車に“新造形タービン型エアロディッシュアルミロードホイール”も採用。
4代目・Z32(1989年)
日産 フェアレディZ 4代目・Z32(1989年)
真っ赤な表紙のカタログを開くと「スポーツカーに乗ろうと思う。」の当時、印象的だったコピーが。確か同時代のワゴンの『アベニール』のコピーは「スポーツカーの次に来るもの」だった。
日産 フェアレディZ 4代目・Z32(1989年)
日産も名車が豊作だった1989年組の1台で、Zを再定義したキャビンフォワード、ロー&ワイドなスタイリングに60°超スラントヘッドランプや3次元ドアガラスを用い斬新さを印象づけた。Tバールーフは踏襲、2シーターにコンバーチブルを設定。
5代目・Z33(2002年)
日産 フェアレディZ 5代目・Z33(2002年)
Z32の生産終了から2年弱の空白期間を経て、『スカイライン』(V35)などと共通のFMプラットフォームをベースに誕生。
日産 フェアレディZ 5代目・Z33(2002年)
発表当時の広報資料には“初代(S30)と4代目(Z32)にルーツを求めた”とあるが、クールなフォルムと幾何学的なディテールを、筆者は初代のアウディ『TT』を連想しながら(最初のカタログもTT風だった)好感を持って眺めていたものだ。
日産 フェアレディZ 5代目・Z33(2002年)
前/後=53%/47%の重量配分は、ドライバーがクルマと一体になって操る感覚を重視したもの。トランクルームにはタワーバーを装着。コンバーチブルも設定された。
6代目・Z34(2008年)
日産 フェアレディZ 6代目・Z34(2008年)
発表当時のニュースリリースの本社の在りかはまだ“東京都中央区銀座”となっている。それまで世界中でおよそ170万台を販売したという“Z”の6代目は、5代目のスタイリングをより筋肉質的に進化させたもの。ヘッドランプ、リヤコンビランプには、書道の“とめ、はね、はらい”的なブーメランモーションを採用。
日産 フェアレディZ 6代目・Z34(2008年)
100mm縮められたホイールベース、ショートストローク(6速MT)マグネシウム製パドルシフト(7速AT)など、走るための仕様にもこだわりが。2009年にはロードスターが追加された。