マツダ『ロードスター』のようなモデルにATなんて…軟弱者!とおしかりを受けるかもしれないが、今回のNDロードスターの場合、ATでないとダメ…という部分があるのだ。
そもそも、今回のNDロードスター、その設定が実に悩ましい。つまり欲しいモデルと装備の関係を突き詰めていくと、どうしても本音で「これ」が欲しい、というモデルにあたらないようにできている(個人的に)。つまりツボには嵌らないと…。
どういうことかというと、これはあくまでも個人的欲求に立脚するものだから、すべての人には当たらないのでそのつもりで読んでほしいが、今の僕の欲求は比較的低いスピードでもスピード感とコーナリングの楽しさを味わいたい、ということ。
となると、ダンパーを堅くして、スタビライザーを装備、さらにはLSDまで組み込んでコーナーで踏ん張ってしまう「Sスペシャルパッケージ」の必要はないのだ。ある程度緩く(それでも十分剛性は保っている)、沈み込みを感じさせて、なお踏ん張り感のある「S」の足が好みなのである。
一方で装備的にはまず何よりも「マツダ・コネクト」が欲しい。これ、実に便利。使い勝手やコネクティビティーにはそれなりに問題はあるのだろうが、それは小さな問題で、国産車でこのレベルのインフォテイメントシステムはなかなか手に入らない。これはマツダ・コネクトを装備した『デミオ』に乗ってほぼ半年が経過した印象だから間違いない。それにi-ELOOPやi-stopも欲しい。カップホルダーは出来れば2個欲しい(Sは一個しかない)等々、これらはMTのSでは設定すらなく、オプションでも手に入らないのである。
で、この欲求を同時に満たしてくれるグレードはというと、それがATのSスペシャルパッケージなのである。そう、同じSスペシャルパッケージでもATの場合、シャシーと足はSと同じなのだ。これがATでなくてはならないポイントだ。
しかし、このAT、従来と同じアイシン・エイ・ダブリュ製であって、マツダが全社的に力を入れているスカイアクティブATではない。ただ、NCのものをそのまま引き継いだかというと、そんなことはなく、新たにアクティブブリッピングシステムを採用して、ダウンシフトの際にはちゃんとエンジン回転を併せ込んでくる。さらにMTにはないドライブセレクションも付く。これ、シフトレバー手前のモード切替をsportにすることによって、エンジンの出力マップを変更し、よりスポーティーな走りを可能にしたものだ。
恐らく一番知りたいことは、ATで果たしてスポーツ走行ができるか否か、ということだと思うのだが、結論から言って全然OKだ。当然のことながらパドルシフトの世話になるのだが、アップシフト、ダウンシフト共に反応速度には不満はない。とりわけダウンシフトの方は、新たなアクティブブリッピング効果で非常にスムーズかつ、コーナー入口で確実にダウンシフトを終了できる素早さを備えているから、十分にスポーツドライビングに対応できる。DCT並とは言わないが、それに近い性能はあるから、パドルを使えばMT車並みに走ることが出来る。
次に想像した通り、足の沈み感などはSと同じで少し緩く、こちらは個人的な好み。車重がSと比べると60kgほど重いから、例えば性能計測をすればそれなりに遅いのだろうが、試乗コース、伊豆スカイラインを走る限り問題はない。
ここで改めて断わっておくが、SだろうがSスペシャルパッケージだろうが、MTだろうがATだろうが、外観からその違いを判断することはできない。タイヤホイールに至るまで、すべてのグレードで外観の差は付けられていないのである。これ、マツダの計らい。
オープン時の風の巻き込みについて話していなかった。ドライバー背後にある小さなエアロボード。これ、全車標準で装備されるのだが、こいつが実に効いているらしく、風を疎ましく思った瞬間はただの一度もなかった。むしろ積極的にオープンにしたくなるのがこのクルマ。何せ、オープンにするのに降りずに済むし(『S660』は降りないとオープンに出来ない)、電動でスイッチを押し続ける必要もない。本当に一瞬でオープンに出来る。こんな有り難いトップの機構は、ひょっとすると初めて出会ったかもしれない。
スピード域にもよるがSモードを選択すると大抵は一段低いギアを選択する。のんびり走りたい時は不向きだが、これがあれば本気モードの時に重宝する。こうしたTPOで走りを変えられるのもAT仕様ならでは。だから、ATでなくてはならないと思うこともあるわけだ。
■5つ星評価
パッケージング ★★★
インテリア居住性 ★★★★
パワーソース ★★★★
フットワーク ★★★★★
おすすめ度 ★★★★★
中村孝仁(なかむらたかひと)AJAJ会員
1952年生まれ、4歳にしてモーターマガジンの誌面を飾るクルマ好き。その後スーパーカーショップのバイトに始まり、ノバエンジニアリングの丁稚メカを経験し、その後ドイツでクルマ修行。1977年にジャーナリズム業界に入り、以来37年間、フリージャーナリストとして活動を続けている。