【井元康一郎のビフォーアフター】自動車メーカーはクルマ離れ阻止をかけ、無料幹線網の整備を進言せよ

自動車 社会 行政
ドイツの高規格幹線道路。アウトバーンではなく、最高速度は100km/hだが、信号がないため時間あたりの走行距離はかなり伸ばせる。
  • ドイツの高規格幹線道路。アウトバーンではなく、最高速度は100km/hだが、信号がないため時間あたりの走行距離はかなり伸ばせる。
  • ドイツの地方道。片側1車線でも斜め線の標識が出たら最高速度は100km/hだ。
  • 旧東ドイツ・ライプツィヒ近郊のアウトバーン。現在、旧東ドイツエリアの道路インフラ整備を大々的に行っており、工事が多い。
  • 日本の高規格幹線道路のひとつ、静岡の浜名バイパス。無料道路としては珍しく80km/h制限。
  • 岡山の尾道バイパス。60km/h制限だが、信号がなく、平均速度は国道2号線本ルートよりずっと速い。
  • どこの田舎道か!?と思うこの道路が、れっきとした1ケタ国道。日本の道路インフラが先進国中最低と言われるゆえんだ。

若者をはじめ、ほぼ全世代でクルマ離れが止まらない。なぜ日本の消費者はクルマを買わなくなったのか。

理由としてしばしば挙げられるのが「クルマは今や嗜好品ではなく、単なる移動手段になったから」というもの。が、これではちゃんとした答えになっていない。クルマは移動するためにあるというのは今も昔も変わらない。移動することが娯楽としてきちんと成立しているのであれば、そこに一定の付加価値がつくはずだ。問題は、移動が娯楽になっていない、言い換えれば、支払う費用に見合うだけの楽しさを得られないことなのだ。

◆高速無料化は事実上反故に?

そのクルマ離れをさらに加速させるような大きなドキュメントがまた飛び出した。再三延長されてきた高速道路の無料化の時期が2050年からさらに繰り延べとなり、2065年に再設定される公算が大となってきたのだ。12月26日の朝日新聞によれば、来年の通常国会において償還期限の改正案を提出するとのこと。1ヵ月以上前の11月4日に読売新聞がこの件をスクープしていたが、後追い報道が出てきたことで、いよいよ本決まりという感が濃厚である。

世界でもブッチギリの高額な通行料で知られる日本の高速道路。整備費用の大半を通行料でまかなうという、類例のないガラパゴス方式が料金高騰の主因である。その我慢の報酬として用意されているのが無料化なのだが、それが50年以上先というのではもはや恒久有料化も同然。利用者のほうも、無料化される時が来るとは誰も思っていないだろう。

まことに腹立たしい償還期限延長だが、道路行政のあり方を抜本的に変えるべしと、国民や自動車メーカーが声を上げる格好のチャンスとすることができる。そのカギを握るのが、高速道路の恒久有料化である。

高速道路の整備計画はいまだ遂行途中で、これからもまだまだ道路は作り続けられる。その中には「こんなところに高額な通行料の道路を作っても誰も通らないだろう」というルートも多い。そんな野放図な計画を許しているのは、いずれ無料化というタテマエがあるからだ。

◆東京~新潟往復で1万円、一般道での長距離移動は非現実的

前述のように、日本の高速道路の通行料は世界でも比類なき高さだ。筆者は今夏、マタギの里として知られる新潟の秘境、奥只見にドライブに行った。アプローチに使ったのは関越自動車道だが、ETC割引を考慮しない正規料金は練馬インターから小出インターまでの204kmで実に4950円。帰りには別ルートを通ったが、かりに帰路もこの区間を使ったとすれば、往復で実に約1万円もの高速料金を支払うことになるのだ。

高いお金を払ってクルマを買い、高い税金や保険料、駐車場代を払ってクルマを保有しても、走らせなければただの置物だ。そのドライブをしようにも、たかだか片道200kmの高速料金だけで往復1万円も支払わなければならないというのでは、数ある娯楽との競合でドライブが敗北するのは当たり前の話だろう。

高速道路料金をケチって旅をすることももちろん不可能ではない。一般道を通れば、理屈のうえでは燃料代だけでクルマを走らせることができる。が、こと日本ではこの一般道の整備状況は、世界的に見てもはなはだ粗末なのだ。

今年8月、筆者は一般道を通って長距離旅行をしたらどうかということを体感すべく、東京と鹿児島の間を一般道経由で往復してみた。寄り道、迂回があったため距離は片道1450kmほど。果たして、一般道を使った長距離移動はほとんど非現実的だということがあらためて実感された。

国道1号線、2号線といった、道路交通の大動脈であるべき1ケタ国道も、片側1車線の粗末な区間が実に長く、平均車速の伸びは非常に悪い。途中で信号の多い市街地などを挟むため、1時間あたりの旅行距離はせいぜい30kmといったところ。さらにほうぼうに渋滞のボトルネックがあるため、昼間の平均速度はさらに低くなってしまいがちだった。10時間走って300kmしか移動できないというのでは、遠出の用には使えないも同然だ。

この一般国道の整備状況の悪さと制限速度の低さは、日本の道路交通網の致命的な弱点と言える。遠方にクルマで出かける場合、交通量の少ない夜間に必死に距離を伸ばしでもしないかぎり、料金の高い高速道路を走るしか選択肢がないのだ。休暇シーズンにいちいち高速道路が大渋滞するのも当たり前の話である。

◆クルマ移動の恩恵が少ない日本

ヨーロッパの一般道を見ると、ドイツで100km/h、イタリアやフランス、スイスなど多くの国が90kmなどと制限速度が高く、1時間あたりで稼げる旅行距離は日本の2倍以上だ。また、フランスやイタリアは高速料金が日本の半額程度に達する(実際には無料区間を挟むため、国交省や高速道路会社が提示する国際比較よりはるかに割安)が、一方で制限速度110km/hの無料高規格幹線道路が全国に整備されており、出費を抑えたドライブが可能である。欧州では交通速度が低いと言われるイギリスでさえ、片側2車線道路は高速でなくとも制限速度70マイル(112km/h)。日本とはクルマを持っていることによって享受できる利益の大きさがまるで違うのだ。

高速道路はバカ高い、一般道は低速で、人生の時間に余裕のある人を除けばせいぜい都市間移動に使うのが関の山。そんな悲惨な日本の道路行政を変えない限り、クルマを持つことの付加価値はこれからも下がる一方であろう。自動車メーカーの首脳は面白いクルマ作りをすることで何とかクルマ離れを食い止めようと試みているが、クルマを買ってもそれを楽しむ場所がないというのでは、小さくなっていくパイの取り合いに勝つことはできても、市場の衰退を防ぐことはできまい。

日本市場を再び活性化させるための唯一の決め手は、道路行政の抜本的な見直しだ。悲惨な道路事情の日本ではあるが、実は打つ手がないわけではない。一つは圏央道のように絶対的バリューのある路線を除いて新規着工を全部中止したうえで償還主義を見直し、永久有料化すること。そのうえで一般道と同じように税金を投入し、通行料金を抑えるのだ。高速道路は日本では贅沢品のように考えられているが、現実として社会を豊かにし、経済を成長させるための重要なインフラ。元来、通行するユーザーや物流業者だけにその負担をつけ回すほうが異常なのだ。

◆責任意識の低い国交省と道路会社

日本の高速道路の料金が目の玉が飛び出るほど高いことについて、国交省は耐震性確保の必要性や複雑な国土に路線を引くことで工費がかさむなどと言い訳をしている。が、これも自分の実務を正当化するための“霞ヶ関文学”のひとつ。日本の高速道路は渋滞解消のために拡幅された場所を除けば海外の無料高規格幹線道路と同等、区間によってはそれにも劣るくらいの粗末なもので、国際比較はそのぶんを差し引いて見るのがまっとうというものだ。

道路会社は都市高速を含め、コスト意識がきわめて薄い。高速道路公団が民営化された後、あるところで高速道路の料金引き上げがいかに正当で、なすべきことかを論じるパネルディスカッションを見たことがある。試算や意見があまりにも噴飯物だったことから、後で国交省の建設族官僚から天下った道路会社首脳に異論を振ったのだが、答えに窮した末の捨て台詞は「我々は民営になったのだから、どれだけ儲けようと我々の自由だ」というものだった。

国民へのサービスであるインフラの整備や運営について責任を負う代わりに1地域1社の独占が許されているという意識は皆無で、電力会社とまったく同じ体質である。永久有料化と国費投入は、国交省と道路会社の放漫経営に歯止めをかけるためにもぜひやるべきで、遠い将来の無償化にこだわっていては、そのチャンスを逃し続けることになってしまう。

◆無料準高速道路としてのバイパス整備が鍵

一方、道路はこれ以上不要なのかというと、それも違う。もう一つ、打つべき手が存在する。それは高速道路から無料で通行できる欧州のような高規格幹線道路網に整備の軸足を移すことだ。

一般道経由で東京~鹿児島をドライブした際、実に有り難い存在だったのは、切れ切れではあるが、全国津々浦々を走るバイパスだった。通常ルートでは300km走るのにも10時間かかるような状況であったにもかかわらず、行きは漫遊しながら2泊3日、帰りは早朝出発の翌深夜到着の1泊2日で走破できたのは、交通量の少ない深夜走行とバイパス利用で平均速度を上げられたためだった。

小田原から箱根新道を超えて静岡に入ると、走行距離の半分以上を信号がきわめて少ないバイパス経由で走破できる。浜名バイパスは制限速度80km/h区間もあり、とくに快適。さらに蒲郡から名四国道に続く国道23号線バイパスが新設された愛知県、伊賀の山中から法隆寺に一気に達する名阪国道のある紀伊半島区間でも速度を稼げた。制限速度が諸外国に比べて低いとはいえ、信号がないだけで一気に長距離移動のキャパシティは高まるのだ。

現在、国交省は「高速自動車校駆動に並行する一般国道自動車専用道路」という長ったらしい名称の税金投入型バイパスの整備を進めている。が、それらは採算が取れない地方高速の代替手段という色彩が強く、建設地は高速道路や計画線の沿線にほぼ限られ、さらに高速道路会社の資金がそこに入れば有料道路となってしまい、また道路によっては高速道路と同じく償還期限がはるか未来に設定されてしまっているものもある。

今、日本に必要なバイパスはそういったものではなく、大都市を迂回するルートを取り、幹線道路として使えるだけの平均車速を保てるような、無料の準高速道路だ。先にも述べたように、先進国では無料の高規格幹線道路はもはや当たり前の存在で、ぜいたく品でもなんでもない。長距離移動に使える一般道ネットワークがない日本がおかしいのだ。そのようなネットワークがきちんと整備されるのなら、百歩譲って高速道路料金は現行水準でもよかろう。そして、高速道路は環状道路など一部を除いて、もはやビタ1ミリ新規着工する必要はない。国交省は2065年まで償還を延長する理由として、設備の老朽化にともなう補修費用の増大を挙げているが、いま作る道路も50年後には立派な老朽線になるのだから。

◆販売数だけではない、クルマ離れの弊害

自動車業界はこれまで、道路行政についてはまったくと言っていいほど口出ししてこなかった。国交省や警察庁などのお上に楯突こうものなら、どのような恣意的な行政制裁を受けるかわからないと考えて、勝手に自粛していたのだ。が、クルマ離れを止めるのに待ったなしという現状では、相手の出方を恐れて何も言わないでいる場合ではなかろう。

なぜクルマ離れを阻止しなければならないのか。それは単にクルマをより多く売るためだけではない。今、自動車業界は若者のクルマ離れによって、有能な若手人材が自動車メーカーに来ないという深刻な事態に直面している。トヨタ自動車のある幹部は「社員を募集すると、応募者は今でも大勢います。が、うちの将来をぜひ担ってほしいというような優秀な人材が来ない。大学の研究室に学生の推薦を頼むのですが、最近は自動車メーカーには行きたくないと、教授推薦を蹴るケースも出てきている。これはウチだけでなく業界全体の問題となっています」と語る。

今の若者にとって、自動車業界は微妙なポジションだ。日本の製造業の中では国際競争力が非常に高い分野である一方、コモディティ化が進み、主要市場もアジアなど新興国に移行していくことが予想されている。今は良くても、定年のさらなる延長も見込めば、半世紀近い自分のキャリアのスタートアップを自動車に求めるのは、少なからずリスクを伴う。実際、若者の多くは「コモディティ化が進行する分野では、南アジアや南アメリカ、中国で研究開発をやれと言われる時代が来るのは間違いない」(コーディングエンジニア)と、とっくに見抜いている。

優秀な若手人材にそういったリスクを撥ね退けて自動車業界に来てもらうには、クルマという商品自体を好きになってもらうしかない。「そもそも、いくら優秀でもクルマが嫌いという人は、最終的にはアセンブリーメーカーでの開発には向かない。どういうクルマがいいクルマ、素敵なクルマなのかということに興味がなかったら、単一技術の開発業務はできても、クルマや機能をどうするかという仕様書を書くことがそもそもできませんから」(トヨタ幹部)

昔と違って娯楽が多様化している今日、若者の娯楽に対する目も肥えている。たとえ格安の中古車を買ったところで、ロクに走らせる場所もなく、駐車場の肥やしになってしまうようなことでは、クルマに目が向くはずがない。若者をクルマに引きつけるうえで一番足りないのは、クルマにとって唯一無二の価値を持つ場である道路、それも低廉なコストで走れる無料幹線網だ。今回の高速道路の償還期限延長を機に、自動車メーカーはモノづくりの世界に引きこもるのではなく、クルマ文化を根底から見直し、道路行政に対してモノを申す決意を持ってはいかがだろうか。

《井元康一郎》

井元康一郎

井元康一郎 鹿児島出身。大学卒業後、パイプオルガン奏者、高校教員、娯楽誌記者、経済誌記者などを経て独立。自動車、宇宙航空、電機、化学、映画、音楽、楽器などをフィールドに、取材・執筆活動を行っている。 著書に『プリウスvsインサイト』(小学館)、『レクサス─トヨタは世界的ブランドを打ち出せるのか』(プレジデント社)がある。

+ 続きを読む

【注目の記事】[PR]

編集部おすすめのニュース

特集