世界の拠点に水平展開する生産システムを
国内の乗用車工場としては恐らく最後の新規立地と目されているホンダの埼玉製作所寄居工場(埼玉県寄居町)を見学した。今年7月の稼働開始を前に、同工場の先進的な環境対策についての説明会が開かれた。2006年5月の建設発表から苦節7年。リーマン・ショックや超円高などに翻弄された新工場が間もなく動き出す。
ホンダの国内4輪車工場は現在、埼玉製作所狭山工場と鈴鹿製作所、そして子会社の八千代工業(四日市製作所)の3拠点。自前拠点で最も新しい狭山工場の操業が1964年だから、寄居はほぼ半世紀ぶりの新設となる。工場建設を決断した06年は、為替の円安もあって総じて日本メーカーの業績が好調な時期にあった。
ホンダも同年の4輪世界販売は前年を5%上回る約355万台で過去最高だった。当初計画によると寄居工場は10年の初めから年20万台規模で稼働開始し、「高品質で高効率な生産システムを確立したうえで、世界の拠点に水平展開する」(当時の福井威夫社長)という構想だった。
2度の延期を経て小型車専用工場に
また、21世紀の工場らしく環境対策も徹底した「グリーンファクトリー」とし、台当たりのCO2(二酸化炭素)排出量は、ホンダの2000年の平均値から2割低減する方針も打ち出していた。
着工は07年9月。しかし、その1年後のリーマン・ショックによって建設は中断され、操業時期も「11年以降」(08年末時点)、「12年以降」(09年3月時点)と2度にわたって延期した。今年13年の稼働開始が決まったのは10年夏になってからだったが、その時点では「環境対応車などを少量で立ち上げる」という発表。すでに円高が進行し始めており、生産規模など寄居工場の位置付けも、なおふらついていた。
次期『フィット』を中心とした小型車専用工場とする方針が伊東孝紳社長から示されたのは12年9月。実際の決断はその1年くらい前だったようだが、フィットも生産していた鈴鹿が「N」シリーズを中心とした軽自動車中心の拠点としてやっていけるメドが立ったことで、寄居の位置付けも明確になった。世界的なダウンサイジングの動きもその位置付けに作用した。
「生産効率と環境」の理念は不変
今回の取材時に、寄居工場の能力は「年25万台」と、さりげなく公表されたが、そもそもの計画だった20万台を上回る数字には、ちょっと驚かされた。生産部門担当の片山行常務執行役員は「世界で年180万台を目指す新型フィットシリーズのマザー工場として育成する」とし、福井前社長の構想に沿って先進生産技術の「水平展開」を担う拠点とする方針だ。
環境負荷を抑制するグリーンファクトリー化についても「現状の狭山工場と比較して、生産1台当たりのCO2排出は3割削減」(埼玉製作所の大石秀樹主任技師)にメドをつけている。電気出力8370kWの大型コージェネレーション(熱電併給)設備や、工場内合計で2600kWの出力をもつメガソーラー(大規模太陽光発電装置)の導入により、当初を上回る環境負荷の低減=省エネを実現することとなった。
こうしたエネルギー自給力の強化は、東日本大震災で表面化した電力供給問題に対処し「需要家としてピーク電力を下げる対策を講じた」(大石氏)ことによる。生産技術面では、コーティングと焼き付けの工程を削減した「3C2B」と呼ぶ新鋭の塗装技術が、稼働時期が遅れたことによって実用化できた。3年余り道草を食った新工場だが、道草をしっかり血肉にした格好だ。全社の英知を集め、「生産効率と環境」という当初の基本理念を曲げずに来たことが大きい。