【東日本大震災】津波に立ち向かった離島航路、一時は行方不明扱いに

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東日本大震災 津波に立ち向かった離島航路
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石巻から田代島や網地島(あじしま)に向かう航路を運行する「網地島ライン」も津波によって大きな被害を受けた。所有する船舶3隻は無事だったが、旧北上川沿いの岸壁近くにあった事務所や船着場は、津波で大きな被害を受けていた。

網地島ラインが所有するのは、石巻から田代島と網地島への航路に使用しているカーフェリー『マーメイド』と高速船『ブルーライナー』、そして牡鹿半島の鮎川(石巻市)と網地島の航路に使用している『みゅう』という船だ。現在はこのうちのマーメイドを使い、石巻~田代・網地間で1日1往復を運行している。

震災直後、3隻とも消息不明になってしまったため、一時は「津波に呑まれて沈没してしまったのではないか」という噂も流れていた。実際には津波回避の緊急行動を実施していたという。

同社の船員は「ブルーライナーは石巻に入港する直前でしたが、港の手前でUターンを行い、津波を回避するために全力で港外に向けて走り始めました。マーメイドも網地島から離れ、みゅうは鮎川から緊急離岸し、同様の行動を取っています」と説明する。

3隻とも巨大津波と遭遇するのは初となるが、乗員の奮闘でなんとか乗り切った。被災時に乗り合わせていた客が船を降りたのは翌12日だが、船内で恐怖に耐えたという。

「最初に石巻まで戻ってきたとき、あまりの惨状に言葉が出なかった」と乗員は語る。臨時の発着場として使用している工業港も液状化で岸壁の一部が大きく崩壊。対岸ではコンテナ船らしき大型の船が傾いた状態で係留されたままだ。

《石田真一》

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