80年代に仏プジョーは、広州汽車との合弁会社、広標致(ぷじょー)によって中国での乗用車生産を開始した。ところが商品と市場とのミスマッチから業績は上がらず撤退。出資していた広州市も巨額の負債を抱え込んだ。
これを救ったのがホンダだった。広州標致が残した生産設備を市から買い取り、さらに新規投資を行って雇用も生み出したのが広州本田だった。
しかし、中国市場が活気付いてくると、プジョーは、傘下のシトロエンが順調に生産を伸ばしてきた東風汽車集団の神龍汽車に出資するという形の、中国生産復帰を発表した。3月にはプジョー『307』の対中輸出も始まっている。