スズキ初のEV『eビターラ』の発売を控える今秋、同社は自動車製造の歴史70周年という節目を迎える。
1955年秋、創業者の鈴木道雄氏は自社初の量産車『スズライト』を、それまで自転車で往診していた地元の医師に直接納車した。この瞬間がスズキの自動車メーカーとしての第一歩となった。
鈴木氏の事業は1920年3月に織機製造からスタートした。同社の織機は設計が進化し、1950年代初頭まで高い人気を誇っていた。しかし、世界的な綿産業の衰退を受け、鈴木氏は輸送機器分野への多角化を決断。1953年に初のオートバイを発表し、その2年後に初の自動車が続いた。
スズライトの研究開発は1937年に始まっていたが、第二次世界大戦の勃発により中断。1954年に鈴木自動車工業が設立されてから開発が再開された。
スズキの発祥地である遠州地方に根付く「やらまいか」精神(「やってみよう」の意)を胸に、鈴木氏は海外の自動車を研究し、豊富な知識を得た。

スズライトは全長3m未満、重量わずか500kg超の小型車だった。360cc・15馬力の2気筒2ストロークエンジンを搭載し、これは自動車に搭載された初めての同タイプのエンジンだった。また日本初のFF(前輪駆動・前部エンジン)レイアウトを採用し、独立コイルスプリングサスペンションとラック・&ピニオン・ステアリングを備えるなど、時代を先取りした設計だった。
スズライトは日本の軽自動車規格に適合し、開発チームはすぐに道路テストを開始した。プロトタイプ時代の最も記憶に残るドライブは、浜松から東京までの箱根山岳地帯を横断する300kmの旅だった。当時はまだ舗装されていない道路での困難な走行だったが、チームは日本の自動車販売の権威「ヤナセ」の社長に車を披露するため、夜遅くに到着した。
社長はチームを迎えるため遅くまで待機し、車を徹底的にテストした。数時間後、非常に感銘を受けた社長はすぐにスズライトの生産を全面的に承認した。生産は1955年10月に月産3~4台で始まったが、1956年初頭には月産30台にまで増加した。
70年後の今日、スズキは「小型車の専門家」として世界的に知られ、年間300万台以上を生産。2030年までに年間400万台の生産を目指している。鈴木道雄氏の軽量車両の設計・生産という当初の戦略は、『スイフト』、『ビターラ』、『Sクロス』に使用される「ハーテクト」プラットフォームや、eビターラ専用に設計された「ハーテクト-e」などに受け継がれている。
