今日、メルセデスベンツの乗用車の高性能バージョンに冠されているサブネーム、AMG。その開発・生産を行っているのはメルセデスAMGだ。ダイムラーあらためメルセデスベンツの本社がある南ドイツ、シュトゥットガルトの郊外、アッファルターバッハ(リンゴの木のある小川の意)を根拠とする自動車製造・モータースポーツ会社である。
1999年にダイムラークライスラーに買収され、2005年に100%子会社化されたメルセデスAMGは今日ではメルセデスベンツの一部門と認識されているが、その前はダイムラーベンツ社と緊密な関係を保ちながらも独立したチューニングファクトリーだった。
創業は1967年。創業者はメルセデスベンツのエンジン開発部門に所属していたハンス・ヴェルナー・アウフレヒトとその後輩のエアハルト・メルヒャー。創業の数年前、ダイムラーベンツは成績不振を理由にレース部門を閉鎖しようとしていたが、2人は高級車の『300SE』で勝ってみせる、できなかったらクビでいいと会社に談判し、1965年のツーリングカーレースで圧勝。それが評判を呼んでエンジンチューンの依頼が山のように舞い込むようになったのをきっかけに独立した。社名のAMG(ドイツ語読みアー・エム・ゲー、英語読みエー・エム・ジー)はアウフレヒト、メルヒャー、そしてアウフレヒトの故郷グローサスパッハの頭文字を取ったものである。
創業から1990年までは一貫してメルセデスベンツ車をベースとしたレースカー作りを行っていたものの、あくまでダイムラーベンツとは別のチューニングファクトリーとして活動していた。1971年にはプレステージサルーン『300SEL 6.3改6.8』でスパ・フランコルシャン24時間耐久レースに出場し総合2位、クラス優勝を果たすなど、インパクトの強さと成績を両立させる型破りなレーススタイルで名を馳せた。
ダイムラーベンツとの関係が公式なものになったのは1990年。コンパクトセダン『190E 2.3』でツーリングカー選手権で好成績を収めたのを機に「AMGメルセデス」を名乗るようになり、90年にワークスファクトリーとしての業務提携を締結した。99年、当時ダイムラーベンツあらためダイムラークライスラーの会長を務めていたユルゲン・シュレンプ氏はAMGブランドの収益化を目指してAMGを子会社。以来、ノーマルモデルを後作業で高性能化するファクトリーチューン色は薄まり、高性能版専業ではあるがメルセデスベンツの商品戦略の中に組み入れられている。
今日、AMGのモデルラインナップはセダン、クーペ、SUV等多岐にわたっている。ほとんどはメルセデスベンツ車の高性能版。2リットルターボエンジンの一部を除き、エンジン出力は400psをオーバーしている。スーパースポーツの『GT』や最高出力1000ps級のハイパーカー『One』など、メルセデスベンツ車と直接関連がない自社開発モデルもラインナップしている。なお、現在のメルセデスベンツAG会長で過去にメルセデスAMGのトップを務めていたこともあるオーラ・ケレニウス氏は今後、AMGをハイパワーブランドからスポーツ志向に回帰させる意向を持っているとも言われている。