【ネオクラ回顧録】ホンダ『プレリュード』4代目は贅沢

憧れのクルマ回顧録 HONDA プレリュード
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世代ごとで特徴のあったプレリュードだけれど
時代の隙間にハマった4代目に憧れる


ホンダ『プレリュード』といえば誰もが最初に思い浮かべるのは、「あっ、あの世界初の乗用車用4WSを装着したモデル」と言われるか、「ああー、あの日本初のサンルーフのクルマ」と言われるか、「そうそう、日本初の4輪ABSとフロント・ダブルウィッシュボーンサスを採用したモデルだよね」とか言われます。でも今回、取り上げるのはそのどれでもないのです。

世界最初の乗用車用4WSを採用したのは3代目だし、日本初のサンルーフは初代、日本初の4輪ABS&フロント・ダブルウィッシュボーンサスは2代目なのです。「あー、CMの曲がラヴェルのボレロだったやつだ」とか「違うよーCM曲は地下室のメロディーだよ」とかも言われますが、ボレロは2代目だし、地下室のメロディーは3代目……。もー忘れ去られたかのような4代目モデルです。何しろプレリュードには5代目もあります。5代目は最後のプレリュードなんで、それなりに認知度もありますが、4代目はそうした評価もされにくい、いわばプレリュードのミッシングリンクと言えるかもしれません。

しかし、この4代目もしっかりと時代を感じられるモデルなのです。日本の自動車史のなかで奇跡の当たり年と言われるのが1989年です。この年はトヨタが『セルシオ』を、日産が『スカイラインGT-R』を、マツダがユーノス『ロードスター』を、ホンダが『NSX』を世に送り出しています。時代はまさにバブル真っ盛りで、BMWの『3シリーズ』は“六本木のカローラ”と呼ばれていました。それから2年、1991年2月にはバブルは崩壊し、失われた10年(やがて、20年、30年と伸びていきます)が始まります。

4代目プレリュードが発表されたのは、そんなバブルがはじけた直後となる1991年9月です。しかし、バブルがはじけたからといって、バブルがはじけたっぽいクルマが登場するわけではありません。クルマは前型が登場すると同時に新型の開発がスタートすると言われます。3代目プレリュードが発表されたのが1987年です。つまり、4代目はバブル発生とともに開発が始まり、絶頂期に熟成されたバブルのすべてがつぎ込まれたようなクルマなのです。

バブルというと、ディスコのお立ち台で派手な扇子を振り回すボディコンねえちゃんのイメージがあって、無駄に派手なイメージですが、バブルの恩恵を得たクルマというのはそういう派手なイメージとはちょっと違っています。バブルはクルマ作りに細かな部分にまでのしっかりした作り込みと、贅沢という思想をもたらしました。

4代目のプレリュードは先代に比べてボディ全幅をプラス70mmの1765mmとしました。それでいながら全長はマイナス80mmの4440mmとしています。つまり、クルマを大きくしたかったわけではなく、全幅を広げて前席をゆったりとさせることが目的だったのです。4代目は発売当初はリヤシートのセンターに大型のコンソールを配置して、ボディ全幅が十分にありながらも乗車定員は4名とするなど、効率よりも贅沢さという考えが盛り込まれていました。

搭載されたエンジンも従来の2リットルから2.2リットルにアップされています。当時はダウンサイジングという発想はなかったので、モデルチェンジでエンジンを変更するということになれば排気量アップは必然の出来事です。とはいえ、2リットルから2.2リットルへの排気量アップによってユーザーは1クラス上の自動車税の支払いが必要になります。それを受け入れられるだろうというもくろみは、バブル景気があったからにほかなりません。とはいえ、VTECも組み合わされた2.2リットルエンジンは自然吸気で200馬力を実現するスポーティなものでした。サスペンションは前後ともに先代同様のダブルウィッシュボーンでしたが、取り付け位置などを一新した新設計のもの、4WSも先代の機械式から電子制御に刷新、回り込むようにデザインされたインパネまわりも贅沢感にあふれ、デートカーとしての要素をさらに高めました。

全5世代にわたるプレリュードのなかで、もっとも贅沢に作られた4代目は、大注目のモデルなのです。

《諸星陽一》

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