スズキ ハヤブサ 開発秘話…「4つの言葉」

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デアゴスティーニ・ジャパン発表会のようす
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デアゴスティーニ・ジャパンから6月18日に創刊される週刊スズキ『ハヤブサGSX 1300R』の発表会見で、実車の開発プロジェクトリーダーだったスズキ二輪事業本部の加藤悦嗣氏が、当時のハヤブサ誕生について語った。

今回の4分の1スケールモデルを作るにあたり、当時のスズキの開発陣は何度も意見を求められたという。この日、初めて4分の1スケールモデルを目の前にして「素晴らしい出来栄えに驚いた」という加藤氏は、開発が始まった頃にはまだ大型免許を持っていなかったことも明らかにした。苦労が続いた当時の、印象に残った4つの言葉を紹介した。

「世界最高のバイクを造るということはとんでもない苦労が必要で、『1300の開発は地獄だぞ』と言われました。それは結果的に担当者全員の努力で克服しました」

「試作車を初めてヨーロッパのテストライダーに乗ってもらった時。普通は試乗後にあれこれ指摘されますが、彼はバイクから降りてきても何も言わずじっと見つめるばかり。しばらくしてやっとひとこと言ったのが『アンビリーバブル!』。開発の中で大きな山を越えた瞬間でした」。

「時速300kmを超えるバイクを造るというのは、普通では考えられないほどの耐久性が必要です。それを実現するために何回も夜遅くまで耐久テストを繰り返しましたが、なかなかOKがでない。しかし、最後の耐久テストは信じられないくらいあっという間に終わりました。そのときの『神風が吹いた』というテスト課の担当部長の言葉が忘れられません」

「スペインで試乗会を行う下準備の時、現地スタッフの一人から『コングラチュレーション』と言われました。これまで何十年もバイクに乗っているが、ハヤブサほど感激したバイクはない、と。まだ試乗会が始まっていないのにです。我々はそんなすごいバイクを造ったんだなという感慨がありました」

各社がスーパースポーツを競って開発した1990年代後半。ホンダ『CBR1100XX』やヤマハ『YZF-R1』の影響を受けながら排気量が最終的に1300ccとなったことなど、ハヤブサ開発はその頂点に立つべく二転三転したと言う。加藤氏は最後に「我々がハヤブサを開発した時の情熱が、読者の人たちも感じてくれたら嬉しい」と語った。

《嶽宮 三郎》

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