F1チームを立ち上げた鈴木亜久里代表は「子供のころから夢見ていたF1の世界に、僕はドライバーとして行くことができました。でも、僕のドライバーとしてのセンスは大したものじゃなかったと思うんです」と語る。
「だから、(F1を降りてから)日本にもどこかに凄い子がいるんじゃないか、と思って、ARTAなどの活動や、いろんなカテゴリーへの参戦をしてきました。その最終目標であるF1へのチーム参戦を発表できて、本当に嬉しいです」
「90年の鈴鹿でドライバーとして表彰台(3位)に立ったとき、あんなにもたくさんの日の丸が振られているのを見て、みなさんの期待を痛切に感じた。また、あそこに日の丸を揚げられるように、非力ですが、がんばっていきたい。まずは、来年の開幕戦(バーレーンGPの予定)のグリッドに、しっかりマシンを並べることが目標です」
亜久里代表が現役F1ドライバーだったころ、80年代末−90年代前半のいわゆるバブル期には、資本買収などによる“準日本チーム”がいくつか存在していた。だが、今回のような“純日本チーム”の旗揚げとなると、ホンダやトヨタなどのメーカー系を除けば、近代F1史上初の快挙といっていい(70年代にマキ、コジマといった先駆者もいたが、時代背景があまりに異なるため同列比較はできないだろう)。