
【三菱WRCヒストリー】2000年、WRカー勢の猛攻の中5位
2000年、前年まで4連覇を果たしたドライバーと車両をもってして最終ランキングが5位という結果は、三菱自動車にとっては不本意以外の何物でもなかった、三菱自動車は、市販車との直接的な連携を重視して純グループAで戦い続けてきた。

三菱自動車、モータースポーツ統括会社のトップを交代
三菱自動車は、10月1日付けで、モータースポーツ統括会社のMMSP GmbHの社長に鳥居勲氏を起用すると発表した。同氏のもと、クロスカントリーラリー活動を強化して同社のモータースポーツ活動を再構築する。

【三菱WRCヒストリー】1999年、ランサー4年連続チャンピオン
1999年、第2戦スウェーデンラリーで『ランサーエボリューションVI』がデビュー、優勝を飾っている。この年マキネンとバーンズはWRC全14戦中7戦で優勝し、マキネンが4年連続ドライバーズタイトルを獲得し、バーンズもドライバーズポイント2位となった。

【三菱WRCヒストリー】初のマニュファクチャラーズタイトル
1998年『ランサーエボリューションV』は4月カタルニヤラリーでデビュー、すぐ表彰台の一角を占めた。

【三菱WRCヒストリー】1997年WRカー規定導入、グループAランエボIVで制す
1997年のFIAの規定改定により、ワールドラリーカーが誕生した。しかし三菱は、改造範囲の限られるグループA『ランサーエボリューションIV』で参戦を続けることを決めた。この年マキネンは2年連続のドライバーズタイトルを獲得している。

【三菱WRCヒストリー】アクティブデフ搭載「ランサーエボリューションII」
グループAランサーエボリューションIIは一層操縦性が向上し、初陣で見事勝利を挙げていた。三菱自動車独創の電磁作動アクティブデフは、1995年の開幕戦モンテカルロラリーからWRCに投入された。

【三菱WRCヒストリー】1996年、初の世界チャンピオン
1996年「ランサーエボリューションIII」は、スウェーデンラリーで2年連続優勝を達成、ドライバー、マキネンとバーンズはその後もサファリ、アルゼンチン、ニュージーランド、フィンランド、オーストラリアで優勝を飾った。

【三菱WRCヒストリー】ランエボの歴史が始まる
1993年は『ランサー』復活の年であった、『ランサーエボリューション』のWRCにおける輝かしい歴史の始まりである。

【三菱WRCヒストリー】篠塚建次郎が日本人初のWRC優勝
1991年10月のコートジボワールラリーで、篠塚建次郎が日本人ドライバーによるWRC初優勝を達成。前年にアジア人初のWRC優勝を同じくグループA「ギャラン」に乗るパトリック・トジャックにさらわれた雪辱を果たした。

【三菱WRCヒストリー】1988年、ギャランVR-4がデビュー
『ギャランVR4』は、アジアパシフィックラリー選手権でも活躍し、1988年に篠塚健次郎が、1991年と、92年にロス・ダンカートンが同選手権のタイトルを獲得している。