将来の高性能市販車は4WDシステムを採用していくことになることを想定し、その技術の先行研究の一環として新しいグループB規定に合わせた新型ラリーカー、それが『スタリオン4WDラリー』である。
WRCラリードイツの21日、レグ2で、三菱のジル・パニッツィはコースアウト、立ち木に衝突してリタイアした。午後サービスに戻ったジルは「どのようにして事故が起こったのか、はっきり覚えていない」と語る。
WRCラリードイツ競技2日目の21日朝、レグ2・SS9で、チーム三菱自動車モータースポーツから出場のジル・パニッツィ車がコースアウト、立木に衝突してリタイアした。パニッツィは事故現場から病院に搬送された。
世界レベルで発生した石油ショックにより、中断を余儀なくされた三菱自動車のモータースポーツ活動。しかし1981年の世界ラリー選手権に2.0リットルターボエンジンを搭載した『ランサーEX』でカムバックを果たし、ランサーEXは3年間参戦した。
三菱のモータースポーツ活動は、他の多くの自動車メーカー同様、世界レベルで発生した石油ショックにより、この1977年をもって公式なラリー活動の一時中断を余儀なくされた。
コーワンのドライビングにより1975年まで3年連続優勝という大きな成功をおさめたランサー、1976年の「サファリラリー」では、シン、ウリヤテ、コーワンの駆る3台のランサーが表彰台を独占した。
1973年「サザンクロスラリー」で初代『ランサー』がデビューした。1974年「サファリラリー」に挑戦、三菱自動車のWRCへの参加が始まった、このサファリラリーで、シンの駆るランサーが優勝、WRC初勝利を得た。
WRC一時撤退を決定した三菱自動車。1962年の「マカオグランプリ」参戦後、1967年に三菱自動車は『コルト1000』でオーストラリアの「サザンクロスラリー」に参戦し、インターナショナルラリーへのデビューを果たした。
三菱自動車と同社のモータースポーツ統括会社MMSPは23日、WRC活動の見直しを発表した。日本初のWRCイベント、9月のラリージャパン以降の参戦を見送り、「ランサーWRカー」の開発に力を注ぐ。
三菱自動車は23日、2004FIA世界ラリー選手権(WRC)活動を見直し、第11戦のラリージャパン以降の参戦を中止すると発表した。2005年以降の参戦を目指して、ラリー車の開発に専念するのが狙いとしている。
2004年FIA世界ラリー選手権(WRC)第8戦ラリー・アルゼンチンは18日、最終の第3レグを行ないチーム三菱自動車モータースポーツから「ランサーWRC04」で出場のジル・パニッツィは総合7位でフィニッシュした。
FIA世界ラリー選手権(WRC)第8戦ラリー・アルゼンチンは15日、アルゼンチン共和国のカルロス・パスで開幕。午前中にシェイクダウン、夕方からはスーパーSS(スペシャルステージ=競技区間)が行われた。
WRC(FIA世界ラリー選手権)第6戦アクロポリスラリーは3日、ギリシア共和国中部の都市ラミアで開幕した。来シーズンからWRCへの導入が検討されていた「スーパーラリー」システムが、突然アクロポリスラリーより実施されることになった。
世界ラリー選手権(WRC)第5戦キプロスラリーは16日にフィニッシュしたが、三菱自動車モータースポーツチーム(ランサーWRC04)のジル・パニッツィ、クリスチャン・ソルベルグはともに15日のレグ2中盤でリタイヤした。
WRC第4戦ラリーニュージーランドに「三菱自動車モータースポーツチーム」から「ランサーWRC04」で出場のジル・パニッツィ、クリスチャン・ソルベルグはともに第1レグで電気系トラブルのためリタイヤした。