ピーター・ホルバリー氏が死去…ボルボを変えた男の偉大な足跡

ホルバリー(グッドウッド2022)
  • ホルバリー(グッドウッド2022)
  • ピーター・ホルバリー。享年73歳。
  • エレトレとホルバリー(向かって右から2人目)
  • 上海モーターショー2015でジーリーのプレゼンテーションに立つホルバリー
  • ボルボ・コンセプト・ユニバース(2011年)
  • ジュネーブモーターショー2010でボルボS60を紹介するホルバリー
  • デトロイトモーターショー2008でリンカーンMKTコンセプトを説明するホルバリー
  • デトロイトモーターショー2007でリンカーンMKRコンセプトを紹介するホルバリー

ロータスカーズは7月1日、同社のデザイン担当Executive Vice-Presidentのピーター・ホルバリーが逝去したと発表した。同僚に会うため中国を訪問中に亡くなったとのことだが、死亡日や死因などの詳細は明らかにされていない。73歳だった。

ホルバリーの名が広く知られるようになったのは、1991年に彼がボルボのチーフデザイナーになってから。筆者は95年に『S40』がデビューしたフランクフルトショーで初めて会って以来、数え切れないほどインタビューを重ねてきた。「ブランドをデザインする」とはどういうことかを、教えてくれたのがホルバリーだったといっても過言ではない。

●四角いボルボを丸くした男

“空飛ぶレンガ”と呼ばれた70年代の「240」系から日本でも大ヒットした90年代の『850』まで、ボルボは角張ったボクシーフォルムを貫いていた。それをS40で、滑らかなシルエットと柔らかな曲面を持つデザインに変えたのがホルバリーだ。

しかし、ただ角から丸に変えたのではない。そこには「ボルボらしさ」への周到な視線があった。240系の前身である60年代の『120』系=通称「アマゾン」は丸みの強いフォルム。そこに立ち返りつつ、アマゾンから240系に受け継がれた力強いショルダーラインを新たな「ボルボらしさ」の要素にした。

成功した850ワゴンからは、リヤピラーに沿って延びる縦長のテールランプを採用。張り出したショルダーを含めてボディ断面をそのまま映し出すようなテールランプは、04年のS50から現行モデルまでボルボのワゴン/SUVに受け継がれてきた。そのイメージを正常進化させたのが、最新の『EX90』/『EX30』の上下二分割のテールランプだ。

●ボルボからフォードモーターを経てジーリーへ

ボルボで実績を重ねたホルバリーは2002年、フォードモーターのPAG=プレミア・オートモーティブ・グループのデザイン統括に抜擢された。PAGとは当時、フォードがその傘下にあったボルボ、ジャガー、ランドローバー、アストンマーチンを束ねて経営合理化を図ろうと作った組織だ。

そこから04年、ホルバリーはフォード米国部門のデザイン責任者に転身。しかし09年にボルボに戻る。後に筆者がインタビューしてわかったのは、フォードがボルボを「中国のどこか」に売却することを知った上で、「新たなチャレンジ」としてボルボに戻ったということ。それは中国ジーリーがボルボを買収する交渉のなかでの出来事だった。


《千葉匠》

千葉匠

千葉匠|デザインジャーナリスト デザインの視点でクルマを斬るジャーナリスト。1954年生まれ。千葉大学工業意匠学科卒業。商用車のデザイナー、カーデザイン専門誌の編集次長を経て88年末よりフリー。「千葉匠」はペンネームで、本名は有元正存(ありもと・まさつぐ)。日本自動車ジャーナリスト協会=AJAJ会員。日本ファッション協会主催のオートカラーアウォードでは11年前から審査委員長を務めている。日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員。

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