【池原照雄の単眼複眼】当初は年商500億円規模に…テイクオフするホンダ航空機事業

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ホンダジェット量産1号機の初飛行の様子
  • ホンダジェット量産1号機の初飛行の様子
  • 顧客向けデモツアーに使用されたホンダジェット
  • ホンダ・エアクラフトカンパニーの藤野道格社長
  • GEホンダ 小型ターボファンエンジンHF120
  • ホンダジェットの量産工場

開発着手から30年目の離陸

ホンダの航空機事業が2015年の春ごろに飛び立つ。小型ビジネスジェット機『ホンダジェット』の顧客への納入が始まるもので、1986年に研究に着手して以来30年目のテイクオフとなる。当初は連結売上高の1%にも満たない売上規模だが、量産自動車メーカーでは初めて「陸海空」でのモビリティ事業を確立、新たな成長力の柱に育成する。

ホンダの航空機事業は、7人乗り機のホンダジェットそのものと、同機にも搭載しているジェットエンジン(ターボファンエンジン)の両建てで推進している。事業体は、ホンダジェットが「ホンダ・エアクラフト・カンパニー」(米国ノースカロライナ州)、エンジンは米GE(ゼネラルエレクトリック)との折半出資による合弁会社「GEホンダ・エアロ・エンジンズ」(オハイオ州)などの体制だ。

すでに量産に着手しているホンダジェットは、15年の第1四半期に米連邦航空局(FAA)の型式認定を取得する見込みであり、その後直ちに納入を始める。同機の受注は「100機以上」とのみ公表されており、顧客は北米が65%、欧州が35%程度という。通常は機体後部に取り付けるエンジンを、主翼の上部に配置しており、それまでの小型ジェット機の常識を覆す設計がホンダジェットの特徴だ。競合機種より20%程度広いキャビンスペースを確保するとともに、燃費性能もおよそ15%上回っている。

◆エンジン単体のビジネスも強化

一方、04年にGEとの共同開発が始まったエンジン「HF120」は、13年末にFAAの型式認定を取得した。独自の高圧コンプレッサー技術などにより燃費性能は同クラスのライバル社製より10%程度、また小型軽量の尺度である「推力重量比」も約20%改善したという。ホンダジェット向けのほか、エンジン単体での事業にも着手し、すでに米シエラインダストリーズ社(テキサス州)と、セスナ社の中古機体のエンジンにHF120を載せ換える事業展開に合意した。

本田技術研究所の航空機エンジンR&Dセンター長である藁谷篤邦取締役によると、ホンダジェットなどHF120が搭載可能なビジネスジェット機の需要は、2020年当時には「300~400機程度が見込める」そうだ。そのうえで、エンジン単体の外販については「ホンダジェット向けと同等規模を確保したい」(藁谷氏)と目標を掲げている。

◆連結売上高の1%に満たないが…

ビジネスジェットの需要は、世界の経済情勢に大きく左右されるという不確定さはあるものの、ホンダが当面のラフな事業スケールとして描いているのは、ホンダジェットで年100機、エンジンは同200機分(うち外販100機分)という感じだ。ホンダジェットの価格は約4億5000万円であり、100機で450億円。エンジンは1機分で8000万円規模と見込まれ、合弁なので外販100機分の半分がホンダ側の純収入とすると年40億円になる。

ジェット機とエンジンを合計するとざっと500億円規模の売上高だ。11.8兆円のホンダの連結売上高(13年3月期)に比べると1%に届かない。ただし、「航空機は保守費用でも利益を出す事業モデルであり、ある規模に達すれば収益が高まる構造にある」(本田技術研究所の山本芳春社長)。恐らく20年代には、同社のマリンや発電用エンジンなどを束ねた「汎用事業」の売上高(約3200億円)に匹敵するスケールとなるのだろう。

◆視界不良のなかで挑戦を続けた藤野ホンダ・エアクラフト社長

ホンダの航空機事業をここまで導いたエンジニアは、ホンダ・エアクラフト・カンパニー社長の藤野道格氏(ホンダ執行役員)。東大工学部航空学科を卒業後、「当時の航空機産業には魅力が感じられず、クルマの技術者になろう」と84年に入社した。だが、86年にホンダがジェット機やガスタービンの基礎研究を始めると同時に飛行機屋への配転を命じられ、今日に至った。

しかも、ホンダが航空機を事業化すると決めたのは、開発着手から20年が経過した06年のことだった。藤野氏には“視界不良”のなかでの挑戦が続いたわけだ。前社長の福井威夫氏が事業化の判断を下した当時は、ホンダの業績も好調であり、何より藤野氏の独創に溢れる機体や総合性能がビジネス機市場でも高く評価されるようになっていた。08年のリーマン・ショックの影響などで、当初10年としていた初号機の納入は5年遅れとなったが、オールホンダの人々にとっての感動の日が近づいてきた。

《池原照雄》

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