マセラティ100周年…めざすはポルシェか、躍進のイタリアンブランドの歴史

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増上寺の輪の空間で披露された限定のグランカブリオ。日本市場はわずか6台である。
  • 増上寺の輪の空間で披露された限定のグランカブリオ。日本市場はわずか6台である。
  • 境内に並べられた古のマセラティ各モデル。手前はアンベール前のグランクーペだ。こちらも日本市場は6台限定である。
  • 事実上マセラティが初めて作り上げたロードカーがこれ。A6 1500という名で、その名の通り直6、1500ccのエンジンを搭載していた。
  • アメリカのセブリング12時間レースで優勝したことを記念してセブリングと名がつけられたモデル。1962年から68年まで生産されている。
  • セブリングとほぼ同年代、1963年に誕生したミストラル。グランプリカーから受け継いだ直6エンジンを搭載する。
  • ランボルギーニが誕生し、イタリアンスーパーカーが世界的にもてはやされた時代に、マセラティが世に送り出した初のミッドエンジンスポーツカー、ボーラ。初期には4.7リットル、後期は4.9リットルのV8エンジンを積む。
  • デトマソがマセラティのオーナーだった時代の1990年に誕生したシャマル。基本はこのクルマの誕生10年前にデビューしたビトゥルボがベース。ビトゥルボはスマッシュヒットを飛ばし、マセラティ再生の原動力になりかけた。
  • 100周年を祝って、東京タワーはブルーに染まり、100の文字が鮮やかに浮かび上がった。
1914年に創業されたマセラティが、今年100周年を迎えた。『マセラティ』といえば、言うまでもなくイタリアを代表するスーパーカーメーカの一つ。とはいえ、その存在はどちらかといえば、同じイタリアの『フェラーリ』や『ランボルギーニ』に押されて影の薄い存在だった。

生産台数にしても70年代までは常に数百台の域を出なかった弱小メーカーである。そして、元々レーシングカーの生産からスタートした会社は、幾度となくそのオーナーシップも変わった。最初はマセラティの5人兄弟が創業したメーカーだが、その後イタリアのオルシファミリーに売却され、1960年代後半にはシトロエンがオーナーに。さらに70年代にはデトマソがオーナーとなり、現在のフィアット傘下となって経営が安定し始めたのは21世紀に入ってからのことであった。

そのマセラティが大躍進を始めたのは現FCA(フィアット・クライスラー・オートモビルス)のCEO、セルジオ・マルキオンネ氏が傘下の3つのブランドを束ねてマセラティ、アルファロメオ、アバルトを一つのグループにした頃からだ。販売は劇的に躍進し、2012年には6200台だったものが、2013年には1万5400台に倍増。そして今年は6月時点で2013年の販売台数を超えているという。

さらに計画ではSUVの『レバンテ』とコンパクトモデルの『アルフィエリ』を追加することで、2018年には7万5000台を目指すというから、今の勢いを見ればその数値は十分に達成可能である。複数の情報によれば、新しいアルフィエリはコンパクトとはいえ、V6エンジンを搭載するスポーツカー。SUVのレバンテを除けばたとえ4ドアといえども、極めてスポーティーな『クワトロポルテ』もスポーツカーの領域といって差し支えないだろうから、スポーツカーだけを作り続けてここまでの成功を導き出したブランドはこれまでイタリアにはなかった。

勿論生産台数だけを見ればスポーツカーメーカーとして、4年後の75000台は桁外れに多く、これを上回るスポーツカーメーカーは唯一ポルシェが存在するだけである。4ドア車の生産といい、SUVの生産といい、マセラティは今まさにポルシェを目指しているのではないかと思えてしまう。

そんな100周年を祝ったのは芝、増上寺。和の空間に古の波乱万丈の歴史を紡いだモデルが数台展示された。レーシングカーメーカーとして誕生したマセラティはメカニズムにも定評があり、1954年と57年にはファン・マヌエル・ファンジォのドライブによってF1ワールドチャンピオンとなり、意外に知られていない事実は1939年と40年の2年連続で、インディ500のウィナーにもなっている。F1とインディ500双方で優勝しているブランドはロータスとマセラティ、それにメルセデスとマクラーレンの4メーカーだけ。勿論イタリアではマセラティだけだ。将来的にはポルシェを仮想敵とするメーカーに発展しそうなマセラティ。今後が注目される。

中村孝仁(なかむらたかひと)AJAJ会員
1952年生まれ、4歳にしてモーターマガジンの誌面を飾るクルマ好き。その後スーパーカーショップのバイトに始まり、ノバエンジニアリングの丁稚メカを経験し、その後ドイツでクルマ修行。1977年にジャーナリズム業界に入り、以来36年間、フリージャーナリストとして活動を続けている。
《中村 孝仁》

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