【三菱 i 創った人】前人未到の挑戦…福井紀王プロダクトエグゼクティブ

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斬新デザインのインテリアをシミジミ見つめる、福井紀王さん。「ここまで持ち込んでくるのには、つらかった…。

自動車業界が構築してきた“軽”のイメージ対して、異質の提案になってくる。本当にお客さんに受け入れられるのか、これは大きな挑戦でした。社内的に認めてもらう流れのなかで、難しい場面が何度もあった…」。

三菱自動車だけではない、日本の自動車業界全体としても、破格の新型車、『i』(アイ)。軽商品開発プロジェクト、プロジェクト・エグゼクティブとして福井さんは戦ってきた。そして、彼は戦い抜いた。三菱の新世代を築く礎が、いまここに誕生したのだ。

筆者はふと、“『スマート』(フォー・ツー)が出た当時、シティムーバーとしてこんなカタチもあるんだと驚きました。このi(アイ)にも、それと同じ、いやそれ以上の衝撃を感じますね”と思わず口にした途端、福井さんは「ダイムラーとはまったく関係ありません。結果的にMR、リアミッドシップになった。デザインも、はなから日本人が手がけたものです」と。半ば我々が決めつけイメージで思っているスマートの近似性について、こうも否定した。

2000年、i(アイ)はアドバンスプロジェクトとして発進した。ちょうどダイムラークラスラーの資本投下、役員などの受け入れなどがあった。しかし、このi(アイ)はあくまでも、日本人の、三菱マンたちの独自的で独創的な“新しい三菱のカタチ”の追求だった。

「我々が苦しかった時期、いろいろな論議がありました。三菱の“軽”をつぶしてはならない、と。三菱自動車の国内販売の65%は“軽”です。経営戦略として“軽”をさらに成熟させる必要があった。(調査の結果)、“プレミアムミニ”に(市場の)穴が開いている。ここに新しいクルマを投入しよう。まあ、ここまではスムーズに話が進んだのですが…」。福井さんはふと、遠くを見るような目になった。(つづく)

《桃田健史》

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