『ランサーエボリューション』の話をするには、時間を巻き戻して話をしなければならないでしょう。三菱は高度成長期からモータースポーツに果敢に挑んだメーカーで、1964年の第2回日本グランプリでは、『コルト1000』がクラス1~3位を独占しています。
◆日本にマッチする5ナンバーサイズのEV
◆きつめのコーナーでのフィーリングは特に気持ちがいい
◆小さなボディで航続335kmを実現
◆10万円高のオープンがお得?
◆日本にこんなサイズのSUVは必要か?
◆18インチを履く日本限定の「オフロード」
◆まわりのクルマが気を使う威風堂々のサイズ感
◆2.5トンの車重を感じさせないハンドリング
◆初の3ナンバーボディの影響は
◆走りの質は「ハイブリッド4WD」がバツグン
◆ガソリン車との価格差はあるけれど
かつてクルマは販売店ごとに異なる車種を販売するという方式がとられていました。日産は日産店、日産モーター店、日産サニー店(のちに日産サティオ店)、日産プリンス店、日産チェリー店が存在していました。
戦後高度成長期の国民車構想に沿ったクルマとして、トヨタは1961年にパブリカを世に送り出しました。しかし、パブリカは思ったほどの販売実績を残すことができませんでした。
1980年代は熱い時代でした。2度も発生したオイルショックや、排ガス規制によりクルマに厳しい1970年代が明け、クルマが再び魅力を増していく年代でした。
MR2が初代から2代目に移行したのが1989年のこと。そう、日本の自動車史に燦然と輝く当たり年。日産がスカイランGT-Rを復活させ、ホンダがNSXをデビュー、マツダがユーノス・ロードスターを登場させた年です。
ケンウッド「DRV-C770R」を装着。ドライブレコーダーはやはり前後左右そして車内が映っていることが大切だと痛感した。後悔先に立たず。
ホンダ『プレリュード』といえば誰もが最初に思い浮かべるのは、「あっ、あの世界初の乗用車用4WSを装着したモデル」と言われるか、「ああー、あの日本初のサンルーフがのクルマ」と言われるか……