シトロエン本社工場の跡地の公園 |
パリ・セーヌ左岸にあるアンドレ・シトロエン公園に、このほどシトロエン『DS』のオブジェが設置されることが決まった。
オブジェはステンレス製で、DSの実車と同寸で作られる。厳密にはDSの廉価版であった『ID19』をモティーフとする。夜はライトアップされる予定だ。製作費はシトロエンが拠出する。
現段階の情報から想像するに、1957年にミラノ・トリエンナーレ美術館で公開され、現在はトリノ自動車博物館に展示されているシトロエンDSのオブジェに近いものになると思われる。モティーフを敢えてIDにするのは、デザイナーのフラミニオ・ベルトーニが意図した姿を表現するのに、よりシンプルかつ明快であるためであろう。
アンドレ・シトロエン公園は、シトロエン本社工場の敷地跡だ。歴史を遡ると、創業者アンドレ・シトロエンが第一次世界大戦特需に応えるため、砲弾工場を1915年に建設したのが始まりである。ジャヴェルといわれるその一帯は、当時はまだ一面のキャベツ畑であった。
工場はヘンリー・フォードの流れ作業方式を導入したことにより、従来とは比較にならない量の砲弾生産を可能にした。それによって巨額の財を手にしたシトロエンは大戦終了翌年の1919年、それを資本に自動車産業へ進出する。アンドレ・シトロエンがこの世を去ったあとも、ジェヴェル工場からは『トラクシォン・アヴァン』、『2CV』、DSといった歴代シトロエン車が送り出されていった。
だが生産規模の拡大とともに年々手狭となり、1974年に工場としての機能に終止符が打たれた。続いて1982年には本社機能もニュイリー・シュル・セーヌに移転。ジャヴェルの63年の歴史に幕が閉じられた。
その後パリ市が再開発し、1992年にオープンしたのがアンドレ・シトロエン公園である。面積は東京ドーム約2.8個分にあたる13ヘクタールである。公園に隣接した敷地には、公立の「アンドレ・シトロエン中学」がある。
ただし開園以来、そこが自動車工場であったことを示しているのは、入口にの小さな歴史解説プレートと、子供用遊具がどことなく2CVの形をしていたことくらいであった。ようやくアンドレ・シトロエンの胸像が元ジャヴェル工場従業員有志の募金で設置されたのは、2年前の2009年だった。
フランス初の大量生産方式を取り入れた工場の跡地とはいえ、記念公園としての整備は、かくもゆったりしたテンポで進められてきた。今回のDSオブジェ除幕式も、予定は2年先の2013年である。
大矢アキオの欧州通信『ヴェローチェ!』 |