悲劇のモンスター スタリオン4WDラリー…映画 SS--エスエス--

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7日、哀川翔さん主演最新作の映画『SS-エスエス-』の製作発表会見が開かれた。会場には、実際に撮影に使用した特別仕様の『スタリオン』も登場した。

WRCの本番を走ることなく主役の座から降りることとなったスタリオン4WD。映画の主人公ダイブツ同様、夢をあきらめなければならなかったその歴史を振り返ってみよう。

WRCの新しいグループB規定に合わせた新型ラリーカーの開発を進めていた三菱自動車は、1983年11月の東京モーターショーにおいて、「スタリオン4WDラリー」のプロトタイプを発表した。

1984年8月、エクスペリメンタル(実験車)クラスが設けられていたミルピストラリー(フランス)へ、実戦テストを目的にスタリオン4WDを送り込んだ。このラリーでは、サスペンションにトラブルが出たものの無事走り切り、クラス優勝。次いで11月のRACラリーにも総合順位には含まれないプロトタイプクラス車として出場した。これらのテストを通じて、スタリオン4WDは所期の目標水準に仕上がっていった。

1985年、前年のテスト参戦2戦に続く実戦テストを目的に、スタリオン4WDは、ランピのドライブでマレーシアラリーのSクラスに出場。これもFISAホモロゲーションを得ていない車の参加が認められていたためだったが、結果はエンジンのオーバーヒートによりリタイアとなっている。

開発が進む中、1986年、グループBは終焉を迎える、前年から事故が続く中、5月、第5戦ツール・ド・コルスで首位を独走していたヘンリ・トイボネンのランチアがコースを飛び出して崖下に転落し爆発炎上、トイボネンとコ・ドライバーのセルジオ・クレスト(アメリカ)が死亡した。

その夜FISAはグループB規定車両のWRCへの出場を認めるのは同年限りとすることを決定し、即時発表した。そしてこの決定を受けて、三菱自動車初の4WDラリーカー、スタリオン4WDターボによるWRC出場計画も破棄されることになった。

しかし、グループBの終焉が決まってから4カ月が経った9月、スタリオン4WDラリーに再び出番が回ってくる。FISAホモロゲーションのないプロトタイプ車両にも総合優勝を狙うことができる設定となっていた香港〜北京ラリーへの参戦である。

ここに送り込まれた2台のスタリオン4WDのうち1台を駆ったのは世界的には無名の中国人ドライバー、日本でドライビングレッスンを受けたルー・ニンジュン。ニンジュンは予想以上に着実な走りを見せ、スティグ・ブロンクビストが走らせたアウディ『クワトロ』に続く総合2位にスタリオン4WDを導いた。

そしてこれが同車の最高成績として残されることになったが、この車が後の三菱自動車の4WDターボカー開発の礎となる役割を果たしたことは間違いない。
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