最後まで難航した「マクファーソン」
トヨタ自動車の『カローラ』が11月で発売40周年を迎え、歴代モデルを揃えた展示イベントなどが行われている。トヨタのウェブサイトでは初代モデルの開発主査だった長谷川龍雄さん(元専務)のメッセージを動画で見ることができる。10年余り前、すでにトヨタをリタイアしていた長谷川さんに取材した時の資料を読み返すと、面白い話がよみがえって来た。
初代カローラは、発売する年になって、急きょエンジン排気量を1000ccから1100ccに変更することになった。開発チームはこの難題を数カ月でこなすのだが、長谷川さんが最後まで苦労したのはエンジンではなく、フロントサスペンションに採用した「マクファーソン・ストラット」だったという。
◆快く資料提供に応じた日本フォード
ショックアブソーバーで車輪を受け止めるマクファーソン式は、現在ではフロント用ではスタンダードとなっているし、一部だがリアに採用するクルマもある。米フォード・モーターの技術者、マクファーソン氏が1950年に開発し、そのまま機構の名称にもなった。
その10数年後、長谷川さんはこの技術を何としてもカローラに採用したいと考えた。当時、実用化しているのは英国フォードだけだった。問題は耐久性で、英国での独自調査とともに、長谷川さんは何と日本フォードにも資料提供を依頼したという。
すると、担当者は「トヨタさんが国産化するのですか。役に立つものがあれば利用してください」と、快く提供に応じてくれたのだという。当時のフォードとトヨタの企業規模に大きな開きが存在したこともあろうが、日本フォードには胆力のある人が居たものだ。
◆共同開発は「ノー」と豊田英二専務
もっとも、最初の試作品は500kmも走るか走らないうちに焼きついてしまった。発売が迫るなか、最後の課題として残ったのはマクファーソン・ストラットであり、長谷川さんは既存のショックアブソーバーメーカーとの共同開発も考えたという。
これには豊田英二専務(現最高顧問)が頑として「ノー」を貫いた。エンジンと同じくらい重要な部品なので自社開発しなければノウハウは残らないと諭されたのだ。結局、発売の年になってようやく量産化に漕ぎ着けた。
その後、軽量でスペースも少なくて済むマクファーソン式は、乗用車のFF化が進んだこともあり、スタンダード技術となっていった。最近ではハイブリッドシステムで見られるよう、できる限り「技術はオープンに」というトヨタの基本方針は、初代カローラでの原体験も下地となっているのだろう。