■3年で見直しのはずが…今まで残った理由
自主規制は、スタート後3年後をメドに事故実態などを踏まえて見直されることになっていた。メーカーにしてみれば「馬力がないクルマでも事故を起こす人は起こす。出力が事故に直結するわけではない。あくまでも暫定的な措置」だったわけだ。しかし、事故死者数はすぐには減らず、規制導入前と同じ水準に戻るには10年近い歳月が必要だった。
また、日本経済は90年代を境に一挙に悪化していく。円高も手伝い、メーカー各社は一斉に原価低減や部品の共通化に奔走する。こうなると、280馬力撤廃どころの騒ぎではない。
さらに前後して空前のRVブームが到来。やがてRVからミニバン、SUVへと市場が広がっていく。当時はまだディーゼル比率も高く、280馬力規制など何の障害にもならなかった。こうして規制はズルズルと14年も続くことになる。
■ドル箱の高級車市場で稼げない
とりあえずは商売の“障害”にならなかった規制だが、しだいに邪魔になっていく。自動車市場が成熟するにつれ、誰もがハイパワーを求める異様な構図は沈静化したが、高級車分野で国産車の見劣りがハッキリしてきたのだ。
とくにベンツやBMWなどのヨーロッパメーカーは多気筒の大排気量車を日本に導入、ハッキリ言って、これに対抗できる国産車はトヨタ『セルシオ』くらいだった。280馬力の足かせも重くなっており、トヨタが『センチェリー』に搭載した5リットルV12エンジンのトルク曲線は水平に近い。つまり、それだけイビツな形でパワーを抑え込んでいるのだ。
高級車分野は、欧米はもちろん、日本でも将来有望とされる。トヨタが「レクサス店」を国内で立ち上げるのもこのためだ。そうした状況下で、280馬力規制は高級車の商品力を弱める障害になりつつあった。
■裁量行政に限界も…国交省
2001年、運輸省から衣替えした国土交通省も、実は自主規制を続けさせることに限界を感じていた。表向きはあくまでも“自主”規制だが、実態は行政指導だ。
実際、自主規制がかからない輸入車のように、日系メーカーが海外で280馬力超車を少量生産し、輸入車特例を使って審査を通す、という手法も理屈上はあり得る。しかし、国交省は日系メーカーの逆輸入車は、輸入車扱いせず、通常の型式審査をとるよう指導しているのだ。
こうした手法が堂々と通じた時代もあったが、とくに自動車産業はグローバル化し、日本を含む各国政府は規制や基準の世界統一を進めている。
一方でトヨタやホンダなど“勝ち組企業”の発言力も増し、「ダブルスタンダードは良くない」(ホンダ首脳)との意見も出てきた。交通事故死者数が大幅に減った今では、規制当時の大義名分も薄れ、国交省はようやく、自主規制撤廃を追認することにしたのだ。