【竹岡圭の大きな夢を】第24回「幼少期の夢が叶った」レクサスLXでバハへ挑戦!能戸知徳さん

11歳でオフロードレースにデビューした能戸知徳さん(当時の写真)
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  • 能戸知徳さん
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レースデビューは、なんと11歳!? 小学生ですよ。レーシングカートやポケバイのレースなら聞いたことあるけれど、大人に混じって本格的なオフロードのレースに11歳から参戦していたとはっ! 改めて驚きました。そんなスーパー小学生だった能戸知徳選手が、オフロードの世界に興味を持ったのは、お父様の影響だとか。

お父様は北海道北見市で4WD車のカスタムショップ「4WDサービス パドック」を経営のかたわら、オフロードレースにも積極的に参加されている、能戸修さんです。

11歳でオフロードレースにデビューした能戸知徳さん(当時の写真)11歳でオフロードレースにデビューした能戸知徳さん(当時の写真)

「そんな環境で育ったので、クルマは小さな頃から身近な存在でしたが、10歳の頃スバルのサンバーをバギー型に改造した、通称『スリッパ』というオフロードバギーを父が買ってくれたんです」とのこと。そこから、ドライバーとしての人生が始まったわけですね。

そのオフロードバギーで走っていたのは、隣町の陸別町にあった町営オフロードコース。なんでも、オフロードコースのご厚意で、好きなだけ走らせてもらえたんだそうですよ。陸別町の粋な計らいですよね! そんなわけで能戸知徳少年は、毎週のようにそのコースを走り込み、11歳でのレースデビューとなったわけです。

『スリッパ』からバハ1000へ

能戸知徳さん能戸知徳さん

そうして経験を積みながら、中学生になった能戸少年は「バハ1000(BAJA1000)」という世界屈指の過酷な歴史あるオフロードレースを、現地で体感することになります。「そこで見たオフロードの本場がもう衝撃的すぎて、いつか自分も絶対このレースに出てやろうと決意を固めました」とのこと。オフロードレースと言えば、やはり本場はアメリカですからね。私も見てみたいっ!

高校1年生になった能戸少年は、岩手県で開催された全国規模の『スリッパ』のワンメイクレースに参戦します。結果は、なんと優勝! 熟練の大人たちと戦い、優勝をかっさらった姿を見ていたタイヤメーカーの方が「これはもう、海外に行かせましょう!」と言ってくださったんだとか。

さらに、バハでの経験も重ねます。とはいえ、まだクルマには乗れませんから、知り合いのチームのメカニックとして帯同しつつ、バハ1000に赴いていたんだそうです。そんな思春期にバハに通っていたら、いつかは必ず!絶対!と、その決意はますます大きなものとして膨らんでいったんだろうことは、想像に難くないですよね。

いよいよ免許が取れる年齢、18歳になり、ご自身がドライバーとして海外のクロスカントリーラリーに参戦するチャンスが巡ってきました。まだバハではありませんが、初の海外クロスカントリーラリーとなる『AXCR(アジアクロスカントリーラリー)』への参戦の切符を手にします。

能戸知徳さん能戸知徳さん

マシンは、三菱『パジェロ』。コ・ドライバーを務めてくださったのが、現在、能戸さんが社員ドライバーとして勤務している、株式会社ジャオスの赤星大二郎代表。いま思えば、なんだかすごい出会いですよね~。というより、赤星さんとしては知徳さんが子供の頃から、見守っていたんでしょうけどね(笑)。

その初参戦では総合12位。さらに翌年には、総合4位をゲット! 日本人トップの成績を収めたそうですから、10代での快挙に皆さんさぞかし驚かれたことでしょう。ちなみにAXCRでは2010年、三菱『トライトン』で6位入賞も果たされています。

「とはいえ、2008年以降は、なかなか海外ラリー参戦のチャンスに恵まれなかったんです。リーマンショックとか、少し前からのディーゼル規制の煽りを受け、いろんな要因が重なって、周りの状況が急変してしまったんですよね。なので、国内のジムニーレースに出場しつつ、父のショップの仕事も忙しくなり…という感じでやっていました」という能戸選手。自暴自棄になっていた時期もあったとのことですが、正直なところ歯がゆい時期だったでしょうね。でも、諦めなかった。「諦めなければ叶わない夢はない」なんて言葉も聞きますが、諦めないってなかなか難しいこと、ものすごいエネルギーを必要とすることだと思います。でも、その思いの強い夢だったからこそ、また回り始めたのでしょう。

「ジャオスの社員ドライバーとして活動してみないか」

能戸知徳さん能戸知徳さん

ターニングポイントが訪れたのは2015年。現在能戸さんが勤務するジャオスの赤星大二郎さんから「創立30周年にあたりラリー活動を再開するから、一緒に行かないか?」というお誘いを受けるんです! ただし、立場はメカニックとしてでした。その時のドライバーは、塙郁夫選手。もしかしたら、塙選手が能戸さんをいざなってくれたのかもしれませんね。

「オフロードと言えば塙さん」というイメージが私の中にもしっかりとあるくらい、オフロードレースのドライバーとして、またマシンビルダーとして、超有名人の塙郁夫さん。ちなみに、子供の頃バハに連れていってくれていたのも、塙選手だったんだそうです。なんだか、お父様の能戸修選手、塙郁夫選手、赤星大二郎代表の温かい絆が伝わってきますよね。

「そのラリーで、きっと知らず知らずのうちに、ドライバーとして乗りたいと、何度も訴えていたんだと思います(笑)」という能戸選手。赤星代表の出した答えは「ジャオスの社員ドライバーとして活動してみないか」でした。

有難いお話ではありますが、能戸選手は悩んだそうです。「生まれた時からずっと北見市じゃないですか。北海道から群馬でしょう。父のショップのこともあるし、正直不安でいろいろ悩んで…。でもね、誰も反対する人いなかったんですよ(笑)。親も背中を押してくれました」ということで、2015年にJAOSに入社、2016 年のAXCRからドライバーとして活動することになり、いまに繋がるわけなんですね。

能戸知徳さん能戸知徳さん

さて、能戸選手。レースがないときの普段のお仕事は何をしているかと言いますと、開発(カスタマイズパーツ)がメインで、モータースポーツの環境で鍛えたノウハウを商品にフィードバックしているんだそうです。「モータースポーツの現場は、走る実験場」なんてよく言われますが、まさにその通りですね。

他にも、トーヨータイヤ「オープンカントリーアンバサダー」としてのお仕事や、ラリーマシンの製作、テストなど、忙しい日々を送っていらっしゃるとのことで、お休みはかなり少なそうですが、その貴重なお休みの日は何しているのか伺ったところ…返ってきたお答が「昼寝」って、オイオイ!

ちなみに、モータースポーツ以外の趣味は映画鑑賞。モータースポーツ以外で今後やってみたいことは、登山やサイクリングだそうです。どうやら、登山やサイクリングなどの自然と戯れる趣味以外は、オウチの中で映画みたり、お昼寝したりと、実は街は苦手だったりして…。

北米市場での成功を夢見て

能戸知徳さん能戸知徳さん

さぁ! ここからがスゴイ。2022年11月、中学生の時から思い続けてきた夢がついに叶うことになりました!

「能戸知徳選手、バハ1000に参戦します!」もちろんドライバーとして。

でもここまで漕ぎ着けるには紆余曲折があったんだそうです。AXCRでクラス優勝も果たし、いよいよ順風満帆かと思われた矢先にコロナ禍に翻弄されることになりました。国内外のモータースポーツはすべて停止に追いやられたのは、皆さん周知のことですよね。

しかし、また動き出します。2021年アメリカで開催される全米最長のオフロードレース、約500マイル(約800km)の荒野を、ほぼノンストップで駆け抜ける過酷なレース「Best In The Desert Vegas to Reno」への挑戦が決まり、きっとそれがきっかけになったのでしょう、2022年のバハ1000に、レクサス『LX600』でチャレンジするという企画が持ち上がったんだそうです!

そう、きっとここで、すべての歯車、タイミングが嚙み合ったということなのでしょう。ジャオスの北米市場の本格的な拡大を視野に入れたプロモーションと、LEXUS LX600の本格派クロスカントリーのイメージも打ち出していきたいという狙いと、何と言っても能戸知徳選手の熱い思い。これが上手く融合することによって、バハへの第一歩が近づいてきたんだと思います。

「今後を含めて、北米市場での成功を夢見て継続してチャレンジしていきたい!」と語る能戸知徳選手。まずは、今年の秋。2022年の「バハ1000(BAJA1000)」は11月に開催されます! チームジャオス(TEAM JAOS)を、能戸知徳選手を、みんなで応援しましょうね~!

能戸知徳さん能戸知徳さん

「能戸知徳さんにとってラリーとは」
私の場合、「ラリー」というジャンルではなく、「オフロード」がメインとなります。砂利道や泥、岩等をメインに飛んだり跳ねたりしながら走ることが魅力です。

サーキット等ではドライバーの力量だけではなく、マシンの速さが重要となり、速さ=お金の部分が大きいですが、オフロードの場合はマシンだけ速くても結果が出るわけではなく、経験値等が重要となり、ドライバー人生が長いのも魅力のひとつです。

「能戸知徳さんからのメッセージ」
今年からはオフロードの本場である北米市場に挑戦します。幼少期に夢見た大地に立ち、本場のレースマシンと同じフィールドをドライブすること。その夢が正に今年叶うのです。人生の節目の年になり、今後も継続してチャレンジできるよう一歩一歩前進していきたいと思います。

クルマ離れが叫ばれている中、今の子供たちにも夢や希望をお届けできたら嬉しいです。SNS等で情報発信しておりますので、フォローや応援よろしくお願いいたします。

《竹岡圭》

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