都心の「市電代替」バスが廃止---札幌のJR北海道バス

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「長生園前」バス停に到着した札幌駅前発の「市電代行」バス最終便。バスの左手となる道路の中心部を市電が走っていた。
  • 「長生園前」バス停に到着した札幌駅前発の「市電代行」バス最終便。バスの左手となる道路の中心部を市電が走っていた。
  • 1970年頃の札幌市電路線図。赤線部分が今回廃止となったバス路線に該当する区間。黒線が現行路線、紫線が廃止路線。上部が北となる。
  • 北5条線「長生園前」行き最後の時刻表。日中1時間に1本の本数。200万都市札幌の中心部を走る路線としてはかなりの過疎だった。
  • 地下鉄西28丁目駅までの路線をPRする掲示の下にひっそりと「長生園前」行き廃止が伝えられていた。
  • 札幌駅前で発車を待つ長生園前行き最終バス。市電旧北5条線内のバス停は、すべて条丁目表記に変更されていた。

札幌市内の路線バスは、4月1日から一斉に冬ダイヤから夏ダイヤに切り替わる。その一方で廃止される系統も出てくるが、今回はJR北海道バス琴似営業所管内で一風変わった路線が廃止となった。

それは、札幌駅前から長生園前まで運行されていた北5条線の54番系統だ。長生園は中央区内にある古くからの老人介護施設だが、実はここに1971年まで札幌市電西20丁目線の「長生園前」停留場があった。

かつての市電は、ここを通って北上し、国鉄桑園駅に近い北5条通りの交差点を右折、当時の国鉄函館本線に沿う形で東進し札幌駅前へ至っていた。今回、廃止された路線は、まさに市電時代のままの経路で運行されていた。つまり、市電廃止後の代替バスの名残だったのだ。

長生園前~中央市場通間の市電西20丁目線と、接続する北5条線中央市場通~札幌駅前間は、1971年10月の廃止後に札幌市営バスが代替輸送を開始。2003年には札幌市営バスの民間移譲に伴い、JR北海道バスが路線を承継した。鉄道の廃線代替バスが廃止になるのは地方で例があるが、人口約200万人を抱える札幌のような大都市、それも都心でというのは極めて稀だろう。

市電廃止から46年、JR北海道バスへの移譲から14年も市電代替バスが生きながらえたのはなぜだろう。市電の大部分が廃止された1973年当時、ほとんどの区間は地下鉄や既存の路線バスで代替できていたので、さほど影響はなかったが、旧市電西20丁目線沿線は地下鉄の沿線からかなり外れており、都心でありながら公共交通機関のエアポケットだったのだ。これは現在でもあまり変わりはなく、現に旧市電西20丁目線を走るバスは54番系統だけだった。

筆者は小学生だった1968年から1970年にかけて、西20丁目線を通る市電3番系統(医大病院前~長生園前~札幌駅前~すすきの~豊平8丁目)をよく利用していただけに、その名残であるJR北海道バスの長生園前行き廃止は感慨深いものがあった。「長生園前」バス停とそのひとつ隣の「開発建設部前」バス停は、市電の停留場とまったく同じ名前で、市電が通っていた時代の唯一の名残らしい名残だ。長生園前は、一条橋方向から伸びてきた市電一条線とのジャンクションで、筆者が利用していた3番系統と一条線の1番系統が、カタンカタンと分岐点らしい軋みを伝えていた。

そんな長生園前行きに運行最終日に乗ってみた。札幌駅前16時57分発の最終便で、廃止を聞きつけた数人のマニアも乗り込み、中にはすでに3往復したという人も。西へ向かう北5条通りではそれなりに区間利用者がいて、頻繁に乗降があったものの、北5条西20丁目付近を左折して南下する頃にはほとんどがお別れ乗車のマニアという車内に。普段はここから長生園前にかけての利用が極端に少なかったことが伺える。

ちなみに54番系統は、4月1日から行き先を地下鉄西28丁目駅に変更し装いを新たにした。札幌駅と西28丁目駅の間を地下鉄で移動すると、大通駅で南北線と東西線との乗換えが発生するが、バスは直通。おまけに運賃はバスが地下鉄より40円安く、所要時間はバスが4分少ない。ただ、バスは1時間に1本程度の運行なので、本数では地下鉄に歯が立たない。この新たなバス路線が地下鉄にどの程度対抗していけるのか、今後の動向に注目したいところだ。

《佐藤正樹(キハユニ工房)》

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