【朝鮮半島 京元線試乗】南北関係の険しさ映す…韓国の南北分断路線が1駅営業再開

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第2次世界大戦の終結と朝鮮戦争によって分断された京元線の韓国側区間のうち、新炭里(シンタンリ)~白馬高地(ペンマゴジ)間が2012年11月に営業再開。ペンマゴジ駅は韓国国鉄の新しい最北端駅となった。
  • 第2次世界大戦の終結と朝鮮戦争によって分断された京元線の韓国側区間のうち、新炭里(シンタンリ)~白馬高地(ペンマゴジ)間が2012年11月に営業再開。ペンマゴジ駅は韓国国鉄の新しい最北端駅となった。
  • 京元線は現在の韓国・ソウルと北朝鮮・元山(ウォンサン)間を結んでいた。朝鮮戦争後の分断区間は新炭里(シンタンリ)~平康(ピョンガン)間だったが、このほど白馬高地(ペンマゴジ)~ピョンガン間に縮小された。
  • 新炭里(シンタンリ)~平康(ピョンガン)間のルート。今回営業を再開したシンタンリ~白馬高地(ペンマゴジ)間はルートを一部変更している。
  • ソウル都市圏の通勤輸送を担う1号線の東豆川(トンドゥチョン)駅。白馬高地(ペンマゴジ)行きの列車はここから発車する。
  • 東豆川(トンドゥチョン)駅の切符売場。白馬高地(ペンマゴジ)行きの列車に乗るためには、ここで改めて切符を購入しなければならない。
  • 東豆川(トンドゥチョン)駅で発車を待つ白馬高地(ペンマゴジ)行きの通勤(トングン)列車。9501系気動車で運転されている。
  • トングン列車の行先表。
  • 9501系の客室。転換式クロスシートが設置されている。

南北分断が事実上固定化している朝鮮半島は、鉄道路線も南北に分断されている。そのうちの一つ、ソウル~元山(ウォンサン)間を結んでいた京元線の韓国側分断区間が、このほど1駅だけ運転を再開した。

京元線は、日本統治時代の1914年に全通した幹線鉄道の一つ。ソウル駅の一つ手前にある龍山(ヨンサン)駅から北東方向に延びて山岳地帯を横断し、日本海側の都市である元山(ウォンサン)駅までの223.7kmを結んでいた。しかし、1945年の第2次世界大戦終結と1950~1953年の朝鮮戦争で、南側が大韓民国(韓国)、北側が朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)に分かれ、京元線の韓国側営業区間はヨンサン~新炭里(シンタンリ)間88.8kmに縮小。北朝鮮側も営業区間を平康(ピョンガン)~ウォンサン間に縮小し、ウォンサン駅で接続する別の路線を編入して線名を江原線に変更している。この結果、軍事境界線をまたぐシンタンリ~ピョンガン間の約30kmが放置された状態になっていた。

朝鮮戦争の終結後は、この状態が長らく続いていたが、シンタンリ駅から韓国・北朝鮮の軍事境界線までは約16kmあり、その途中には一般民間人の住む集落や、朝鮮戦争の激戦地として知られる白馬高地(ペンマゴジ)などの観光地もある。そのため、シンタンリ駅から一つ先の鉄原(チョルウォン)駅まで、運転の再開を望む声が以前から出ていた。ただ、かつてのチョルウォン駅は軍事境界線の南側ではあるものの、一般民間人の自由な通行や立ち入りを制限している民間人統制区域内にあるのが難点だった。

そこで、統制区域外となるチョルウォン駅の約3km手前まで線路を復元し、そこに終点となる新駅(ペンマゴジ駅)を設けることになった。復元工事は2007年から始まり、2012年11月20日にシンタンリ~ペンマゴジ間5.6kmの営業運転が再開された。

現在の京元線は三つの運行系統に分かれている。南側のヨンサン~清涼里(チャンニャンニ)~回基(フェギ)間は広域電鉄中央線の一部、チャンニャンニ~フェギ~東豆川(トンドゥチョン)~逍遥山(ソヨサン)間は広域電鉄1号線の一部で、いずれもソウル都市圏の通勤通学輸送を担う複線電化路線に成長している。

これに対し、北側のトンドゥチョン~ソヨサン~シンタンリ~ペンマゴジ間は、単線非電化のローカル線(トンドゥチョン~ソヨサン間のみ1号線が並行)と化しており、日本のJR普通列車に相当する「通勤(トングン)列車」が1日17往復運転されているだけだ。しかも、ペンマゴジ駅まで運転されているのは9往復だけで、残りの8往復は従来通りトンドゥチョン~シンタンリ間のみの運転である。

運賃体系も複線電化区間と非電化単線区間で分かれており、ソウル都市圏の駅からペンマゴジ駅までの切符は発売されていない。1号線の列車からペンマゴジ行きのトングン列車に乗り継ぐ場合、トンドゥチョン駅かソヨサン駅でトングン列車の切符を改めて購入する必要がある。トングン列車の大人運賃は一律1000ウォン(約84円)だ。

運転再開から1か月が過ぎた2012年12月25日の11時50分頃、1号線の列車に乗ってトンドゥチョン駅に着いた。列車を下りると、隣のホームにはペンマゴジ方面に向かうトングン列車の9501系気動車が出発を待っていた。

9501系は片側2か所に客用ドアが設けられており、客室内は転換式クロスシートが設けられている。旧日本国鉄のキハ66・67系気動車と似たレイアウトだ。

ペンマゴジ行きトングン列車は12時50分にトンドゥチョン駅を発車。座席はペンマゴジに向かう観光客でほぼ埋まり、次のソヨサン駅でも1号線からの乗り換え客が多数乗車し、大都市圏の通勤電車並みの混雑になった。

20年ほど前にも京元線をシンタンリ駅まで往復したことがあるが、当時はAH-1『コブラ』らしき攻撃ヘリコプターが並ぶ軍事施設などが見え、河原では若い軍人が何かの訓練をしているなど、かなり緊張感が漂っていたのを覚えている。しかし、今回は『コブラ』の姿も、軍人の姿も見えない。のどかな田園地帯が広がっているだけだ。もはや戦争状態に陥ることはないと、軍事施設を縮小したのだろうか。

トンドゥチョン駅から50分ほどでシンタンリ駅に到着し、いよいよ営業再開区間に入る。トングン列車は南北分断前の旧線をトレースするように進むが、5分ほどして左にカーブし、枯れ草に覆われた旧線の築堤が分かれていった。今回の運転再開にあたっては、旧線のやや西側に新しい線路を建設しており、旧線を完全にはトレースしていないのだ。実質的には運転再開というより、新線の延伸開業といえるかもしれない。しばらくすると、放置された旧線の橋りょうも見えてきた。

トングン列車はトンネルを数本通過し、シンタンリ駅から7分ほどで終点のペンマゴジ駅に到着した。駅舎は改札口や待合スペースなど必要最小限の施設があるだけの小ぶりなものであった。乗客の多くは、駅前に停車していた観光バスに乗り換えていく。おそらくはペンマゴジに向かうのだろう。

駅前は道路が1本通っているだけで、お店どころか民家の姿も見えない。ただ、道路の脇には旧線の線路跡が、細長いくぼ地となって残っていた。くぼ地の底がどうなっているのかよく見えなかったが、どうも水たまりになっているようだ。今回の運転再開にあたってルートを変更したのは、旧線にたまった水の排水が難しく、別のルートで線路を整備した方が安上がりという事情があったのかもしれない。

京元線の延伸により、韓国が実効支配する地域の最北端駅は、シンタンリ駅からペンマゴジ駅に変わった。次に最北端駅が変わるのは、南北統一を果たしたときだろうか。

《草町義和》

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