デトロイトの中心部から南西に約15km、車で20分ほどのディアボーンという街にフォードミュージアムはある。
フォードの創設者であるヘンリー・フォードのコレクションを集めた博物館として1929年に開設、現在は49000平方メートルもの広大な場内に、歴史的に貴重な自動車や飛行機、機関車などが展示されている。
今なお創設当時の面影を残す建物に足を踏み入れ、17ドル(約1360円)のチケットを購入してミュージアムへの扉を開くと、巨大な双発機が眼前に迫る。1939年型ダグラス『DC-3』である。世界の航空史に燦然と輝く機体を右手に進むと黒塗りの巨大な車たちが整然と並ぶ。
"Presidential Vehicles(大統領公用車)"と名付けられたこのコーナーには、アメリカ合衆国第26代大統領セオドア・ルーズベルトが使用していたブロアム(ブルーム型馬車)や、同じく第34代大統領ドワイト・アイゼンハワーが使用したバブルトップ(透明な防弾カバー)の公用車が並ぶ。その中で一際異彩を放つのが、1961年に製造されたリンカーン『コンチネンタル』、第35代大統領ジョン・F・ケネディが1963年11月22日にテキサス州ダラスで暗殺されていた際に乗っていた車だ。
翌年に控えた大統領選を前に、再選を狙うケネディは共和党優勢のダラスに乗り込んだ。反ケネディ派による襲撃が懸念されたことからバブルトップの着用が提案されたが、毅然としたイメージをアピールするために、ケネディはこれを拒否した。午前11時40分頃、ケネディらを乗せたコンチネンタルはダウンタウンを出発、16km/hほどのスピードで、目的地のトレードセンターへ向かった。そして、午後12時30分頃、テキサス教科書倉庫付近でケネディは暗殺された。
ケネディが暗殺された直後、リー・ハーヴェイ・オズワルドがケネディ暗殺の容疑で逮捕された。しかし、オズワルドが真犯人であったのか、あるいは共犯がいたのかなどこの事件に関わる謎は多い。オズワルド自身も逮捕から2日後、ジャック・ルビーによって射殺されているため真相は謎に包まれたままだ。
このショッキングな事件の後、大統領専属のシークレットサービス達は、緊急時に素早く車に乗り込めるように、すぐに後輪前方に大型のフットステップを取り付けた。未来の大統領を守るためには、それが必要だと考えたのだ。その後、この車は第36代大統領リンドン・ジョンソン、第37代大統領リチャード・ニクソンらへと引き継がれ、1977年まで使用された。その後も、"大統領らしく"堂々とした姿勢を示したい大統領側と、大統領の安全を最重要視するシークレットサービスたちの間で、車をめぐる折衝があったことはあまり知られてはいない。
世界中の人々は"悲劇の車"としてこのコンチネンタルを記憶に留めるが、フォードミュージアムにあるこの車の紹介には次のようにある。
「この近代的な新型4ドアコンバーチブルは、若く聡明な大統領にとても良く似合っているように見えた」
"近代的な新型4ドアコンバーチブル"がケネディ暗殺事件という歴史にまみれたことは、当時最先端の技術を用いて作られた類まれなる車にとってもこれ以上ない悲劇だった。