【池原照雄の単眼複眼】世界一災害に強い自動車産業をめざして

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仙台地区の施設を訪問したトヨタ豊田社長(2011年3月27日)。
  • 仙台地区の施設を訪問したトヨタ豊田社長(2011年3月27日)。
  • トヨタ会見。豊田社長、新美副社長、佐々木副社長(2011年4月22日)。
  • 日産ゴーン社長がいわき工場を訪問(2011年5月17日)。
  • ルネサスエレクトロニクス赤尾泰社長(中央。2011年5月18日)
  • 本牧埠頭を視察、土曜出勤の従業員を激励する日産ゴーン社長(2011年7月16日)。
  • 日産自動車の防災訓練(2012年3月5日)

◆当初、年末と見られたトヨタの生産正常化

未曾有の大災害から間もなく1年を迎える。今なお3276人(3月2日現在・警察庁調べ)の方々の行方が分からず、がれきの処理がいっこうに進まないなど復興の足取りは重い。自動車産業は、サプライチェーンの寸断などによって生産に多大な影響を受けたものの、当初の見込みを上回るペースで復旧を成し遂げることができた。自然災害は予知困難な経営リスクであり、3月11日はそのマネジメントを再点検する機会としたい。

東日本大震災から1か月余りが経過した昨年4月22日、トヨタ自動車は豊田章男社長が東京で記者会見し、生産の復興見通しを明らかにした。その席で示されたのは「海外工場を含む全車種・全ラインの完全正常化は11月から12月にかけて」という深刻なものだった。

しかし、その後は日を追うごとに復旧時期が前倒しされ、7月に入ると国内工場が正常レベルに、そして9月には海外工場を含む「完全正常化」が実現した。同社の場合、早急な手当てが必要という、いわゆるクリティカルな部品は、当初500品目に及び、グローバルで生産車種の約8割に影響が及ぶと見られていた。

しかし、5月上旬にはその品目は30にまで絞り込まれた。問題部品を急ピッチでつぶせた背景には、同社による被災企業への支援や設計変更による部品の流用対策などのほか、代替生産の引き受けなどで部品産業の柔軟でスピィーディな協力があった。

◆ピラミッド型だけではなかった供給網の死角

被災状況の把握や被災企業への復旧支援では、個々の系列のみならず、自動車業界が一丸となった取り組みも行われた。日本自動車工業会は、震災から数日を置いて情報が一元的に把握できる体制を整えた。業界あげての復旧活動でシンボリックなのは、自動車各社に最大の影響をもたらしたマイコンメーカー、ルネサスエレクトロニクスへの支援だった。

同社ひたちなか工場(茨城県)には、多い日で約2500人の支援者がかけつけた。その結果、生産再開は当初想定の9月から6月に前倒しされ、業界全体の復旧加速につながった。

同社の被災による供給の断裂は、サプライチェーンが内包していた問題点も露呈させた。従来、ピラミッド型と考えられていた供給網は、マイコンが組み込まれる電子部品など一部の部品や素材については、2次、3次の段階で、独自の技術や製品をもつオンリーワン企業に収束する形態になっていたのだった。

これを機に、自動車各社は直接の取引先である1次サプライヤーとともに、オンリーワン企業となりうる2次、3次サプライヤーの存在情報を調査・共有し、災害時の対応策の立案を進めるようになった。

◆実態把握とリスク対応で地道な取り組み

自工会は、会員メーカー各社のサプライチェーン強化に向けた取り組みを「実態把握」と「リスク対応」に分けて、次のように整理している。まず、実態把握では(1)2次以降のサプライヤーの実態調査、(2)そこから判明する高リスク部品の把握、(3)被災地ごとの供給への影響を把握するための「ハザードマップ」の作成、(4)サプライヤーへのモニターやヒアリングの継続---の4項目。

また、リスク対応では(1)並行発注や分散生産、汎用化の推進や在庫の積み増しなどリスク軽減策、(2)サプライヤー各社のBCP(事業継続計画)の把握、(3)危機時の初動プロセスの立案・整備、(4)復旧へのリードタイム短縮に向けた手順や手法の整備---を挙げている。

いずれも、部品・資材産業と一体となって進めるべき地道な活動ばかりだ。自工会の志賀俊之会長は大震災後、夏季の休日シフトなど痛みの伴う決断も下しながら、強いリーダーシップを発揮した。そして、「大震災からの復旧は日本のモノづくり力のたくましさを示した。コストや品質の競争力に加え、災害にも強い自動車産業にしたい」と強調してきた。それは今や、自動車各社共通の決意ともなっている。

《池原照雄》

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