【特集クルマと震災】「運ばなきゃならない」仙台-東京バス特別便の舞台裏

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運行再開直後の新宿ターミナル
  • 運行再開直後の新宿ターミナル
  • 運行再開直後の新宿ターミナル
  • 仙台駅(2011年3月30日)
  • 仙台市内のバスターミナル(2011年3月31日)
  • 仙台市内のバスターミナル(2011年3月31日)
  • 仙台市内のバスターミナル(2011年3月31日)
  • 落ち着きを取り戻しつつある新宿ターミナル(2011年4月19日)
  • 落ち着きを取り戻しつつある新宿ターミナル(2011年4月19日)

震災後、電気の供給がままならず、鉄道が乱れた。津波の被害を受けた仙台空港をはじめ、空の便も大きな影響を受けた。主要交通機関が甚大な被害に遭ったなかで、バスは速やかに人々の足となった。

◆許可申請と路線立ち上げを同時進行

震災直後、高速道路を走行できたのは緊急車両や物資輸送用の特別車両のみ。一般車の走行は許されていなかった。バス会社は、国交省をはじめ警察などの関係官庁と連絡をとり、運行許可の取得に動いた。許認可制で事業を展開するバス会社は、被災地へ向かう特別便の新設にあたり、許可が必要になることを見越した判断だった。

日本各地を高速バスで結ぶジェイアール(JR)バス関東は、被災地への特別便を立ち上げた一社だ。日本バス協会の副会長でもある同社の万代典彦社長は、震災直後から監督官庁に連絡をとったという。この連絡と並行して、同社はJR東日本グループのJRバス東北と連携し、被災地である仙台と東京を結ぶ特別便の立ち上げに取り組んだ。

当時を振り返り、JRバス関東運輸営業部 土肥豊次長は「例えば今日(監督官庁からの)許可を得られれば、翌日には運行できるというスピードで東京〜仙台間の新路線を用意できた」という。日頃はライバル関係にある両社だが「ときかく“運ばなきゃ”という意見で一致しました」(同)。同社は震災から5日後の3月16日に特別便を含むバスの運行を開始した。

◆東北方面路線の利用者は1日12000人…平常時の2倍

JRバス関東では、東北方面への需要急増に対して、車両を他路線や他社から集め、キャパシティを拡大した。震災直後に課題となった燃料の確保に関しては不安定な状況にあった。通常、タンクローリーで燃料を補充しているが、ローリーの輸送状況が把握できず、一時は燃料が底を突く寸前まで逼迫した。その際は、他社と連携し燃料をカバーし合ってしのいだ。

通常、バスは鉄道や空路の補完的な役割を果たす。バスが主要な移動手段となることは多くない。しかし、震災直後、鉄道をはじめとする公共交通機関がダメージを負ったなかでは、バスが主要な交通手段としての役割を担い、乗客を東北方面へ運んだ。

車両と燃料と乗務員(運転手)という体制が整っていれば運行が可能で、乗車・停車場所は危険な地域を避け、柔軟に対応することができる。バスの軽快さが効果的に機能した。土肥氏は「バスはハンドルが切れるかぎり走ることができるのが強み」と述べた。

新設した東京〜仙台特別便の運行を開始すると予約が殺到した。予約システムは飽和状態となり、人的なサービスも含めてパンクする危険性もあったという。そこで東北方面の下り線に関しては乗客をフリーで乗車させる形をとった。バス停に来た順で利用者をバスに乗車させ発車する。それでも溢れる乗客に対しては、バス停の係員を増強することで混乱を防いだ。需要が集中した時期は、バス5、6台分(200~240人)並ぶこともあったという。利用者に対しては、運行状況に関する正しい情報提供を行うことで対応した。サービス面においても柔軟さが速やかな課題解決につながった。

なお、JRバス関東の特別便を含めた東北方面路線への最大利用者数は1日あたり約1万2000人に上った。内訳は、新規立ち上げの仙台便が約600人、いわき便が約3000人、水戸便が約5000人、日立便が約2500人、盛岡便が約1000人。これは年間平均の利用者数と比べ、約2倍の輸送規模になるという。

◆震災を通して学んだ

JRバス関東では、震災対応輸送を6月末まで継続し、7月からは改めて輸送形態を検討する。同社の事業全体を見渡すと、東北方面への輸送比重が高まっているが、他地域では稼働率が低下しており、例えば千葉房総方面の輸送は例年の7割程度。全体で見ると前年比で落ち込んでいるという。東北方面の輸送にリソースを集中しているため、他地域のリソースが不足し、他社との連携でカバーしているというのが実態だ。

今年は震災の影響でゴールデンウィークの旅行者も減少する見込みで、さらに夏にかけても減少傾向は継続すると見ている。「今年の輸送量は例年の8~9割程度になるのではないか」(同)という見通しだ。震災の2次的、3次的な影響は、今後さまざま形で表面化するとみられ、バス会社は引き続き厳しい戦いを強いられることになる。

土肥氏は「平常時、バスが満員になることは多くない。震災直後は満員のバスを乗務員が運転した。すべての従業員が震災直後からそれぞれが出来ることに取り組んだ。こうした経験を通してみな仕事の喜びを感じたのではないか。震災という危機に対応した力をもって、今後の難局に立ち向かいたい」と力強く話した。

《土屋篤司》

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