[日産デザイン]デザイン本部の歴史は設計部造形課から

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1950年代半ばの設計部造形課。写真の左から3人目が佐藤章蔵氏
  • 1950年代半ばの設計部造形課。写真の左から3人目が佐藤章蔵氏
  • ダットサン112型のスケッチ(水彩)
  • 昭和30年代の鶴見スタジオでの作業風景
  • 荻窪モデルルームでの作業風景。日産の資料だと1951年だが、60年代と思われる
  • 日産デザインセンター(厚木)
  • パワーウォール
  • 日産デザインヨーロッパ
  • 日産デザインヨーロッパ

日産自動車が神奈川県厚木市にあるテクニカルセンター内のデザイン本部の見学会を開催した。

デザイン本部プロジェクトデザインディレクターの長野宏司氏は、日産のデザインの歴史について、「1954年にデザインの専門部署を発足させ、当初は設計部造形課と称され、形(かたち)ではなく型(かた)を作るという部署の一部でした」と紐解いた。

当時エンジニアであった佐藤章蔵氏が水彩を得意としていたことが役員の目に留まり、初代課長に抜擢されたという。従って、当初のデザインスケッチは水彩画であった。

1982年に厚木に日産テクニカルセンター(NTC)を作り、それまで鶴見(神奈川県横浜市)と荻窪(東京都杉並区)に分散していたデザインスタジオを統合し現在に至る。

現在のデザイン棟は2006年に新しく完成した。従来のデザイン本部の建屋を少しずつ壊しながら、敷地の中に建て替えていった。

建物の大きさは長手方向で300mほどあるという。屋外にも囲われた展示場がある。長野さんは、「自動車というのはモデルを作って、外の外光でチェックをする必要があるのです。屋外でチェックしてまたスタジオに戻してと出来るようになっています」という。

現在のグローバルな日産のデザイン拠点展開は、まず、NTCにある日産グローバルデザインセンター、日本ではNTCのほか「クリエイティブボックスという小さなデザインスタジオが原宿にあります。20 - 30人規模で基本的にはアドバンスのコンセプトを担当しています」とし、海外では「日産デザインヨーロッパ。ロンドンにあり50 - 60人の規模。もうひとつは日産デザインアメリカ。サンディエゴで80人くらいでデザイン等を行っています」と語った。

《内田俊一》

内田俊一

内田俊一(うちだしゅんいち) 日本自動車ジャーナリスト協会(AJAJ)会員 1966年生まれ。自動車関連のマーケティングリサーチ会社に18年間在籍し、先行開発、ユーザー調査に携わる。その後独立し、これまでの経験を活かしデザイン、マーケティング等の視点を中心に執筆。また、クラシックカーの分野も得意としている。保有車は車検切れのルノー25バカラとルノー10。

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