音楽は修行、僕は修行僧
日野はスキーやゴルフなど多趣味でも知られる。しかし、これらのスポーツはただ遊ぶためでなく、タフな演奏に必要な体力をつけるためでもある。酒を飲まず、体調管理に気を配るのも、全ては最高のパフォーマンスのためだ。事実、年齢を疑うほどパワフルなサウンドは、年を重ねるにつれ、深みを増しているように感じられる。「温かい、愛のある演奏をしたい」と語る日野。サッチモのように、ワンフレーズで涙が出るようなサウンドが目標という。
「50年以上やっても、まだまだ練習。何日も練習してせっかくトランペットに馴染んだ唇が、2日吹かなかったら元に戻っちゃうんだから。休んでなんかいられないよ。音楽は修行で、僕は修行僧みたいなもの。この修行に終わりはないし、一生をかけて続けていくよ。神様に“死ぬまで吹き続けて、人を癒してあげなさい”と言われてるから手を抜けないんだよね」
◆日本人としての自覚
アメリカでの成功、という輝かしいイメージが強い日野だが、ニューヨーク生活の中で、最も強く意識させられたことは自分が日本人、アジア人であることだったという。
「昔から“ジャズはアメリカのもの”。僕はそんなアメリカの音に憧れ、彼らと同じように演奏をしているつもりなのに“日本的な音だね”なんて言われてきた。1972年、ベルリン・ジャズ・フェスティバルに出演した次の日の新聞には“Terumasa Hino KARATE Jazz!!”なんて書かれていたからね。あくまでJazzは黒人の音楽。“彼はいいプレイヤーだけど、日本人だからな”なんて言葉が返ってくるんだよ」
◆まずは隣国と仲良くなること
アメリカ人でもなく、黒人でもない。日野にとってアメリカでの生活は自らのアイデンティティを問い続けた日々でもあった。国籍や肌の色を超えて、人間はわかり合えるのだろうか。日野は考えた。音楽の力で、人びとが連帯しあえる世界をつくることはできないだろうか。
「まず韓国や中国をはじめとした、隣国から仲良くならないといけない。“世界平和”の一歩は隣人から。そしてアジアをEUのようにひとつにしたい。いきなり政治家同士が話し合ってもうまくいかないから、音楽などの文化交流が先立つことが必要なんだ。僕一人では微力だけど、メッセージを発信し続けることが大切だと思ってるよ」