日産自動車は13日、横浜工場で生産累計1億台記念イベントを開催した。そこで日産自動車の創業者である鮎川義介の、渡米中の日記帳を展示した。
芝浦製作所に自ら望んで職工として入社した鮎川は、技術を学ぶため、アメリカに渡り、当時の最新鋳物技術を学び、その後、自力で『ダットサン』の量産を行った。「生きることが実感できる仕事はモノ作りである」と鮎川氏は常に語っていたという。
鮎川氏の日記帳は今回のイベントのため特別に持ってこられたもので、普段は日立金属九州工場内、鋳物記念館所蔵に展示されている。
日産自動車は13日、横浜工場で生産累計1億台記念イベントを開催した。そこで日産自動車の創業者である鮎川義介の、渡米中の日記帳を展示した。
芝浦製作所に自ら望んで職工として入社した鮎川は、技術を学ぶため、アメリカに渡り、当時の最新鋳物技術を学び、その後、自力で『ダットサン』の量産を行った。「生きることが実感できる仕事はモノ作りである」と鮎川氏は常に語っていたという。
鮎川氏の日記帳は今回のイベントのため特別に持ってこられたもので、普段は日立金属九州工場内、鋳物記念館所蔵に展示されている。