【マツダ『RX-8』開発物語】RE存続、欲張りな企画

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98年の春、マツダ社内で若手の商品プランナーが次世代スポーツカーの商品企画に取り組んでいた。20歳代から40歳代以上まで、年齢層ごとにユーザーを集めたクリニック(消費者を集めて直接意見を聞く会)を開催し、その結果を分析し、将来の商品をどういう方向で開発するか、議論を重ねていた。

「40歳代で子供がいる人も、じつはスポーツカーに乗りたいと思っている」「スポーツカーはカタチではない。そのクルマが持つマインドの中にキャラクターがある」「絶対性能の大事だが、実用性も大事」……。

リサーチの結果や将来予測、それとプランナー各自が持つスポーツカーへの“思い”から導き出されたプランニングチームの結論は「フル4シーターのピュアスポーツ」だった。4人のために均等なスペースを用意し、いままでの2+2クーペにはない魅力的なスタイリングで包み、その上で走りのパフォーマンスも特上をねらうという、欲張りな企画が固まった。そして、シャシーは『RX-01』で開発したものをベースに設計をやり直すことが決まった。ここに『RX-8』の開発がスタートしたのである。

ちょうどそのころ、フォードがRE存続という線でほぼ結論を出しつつあった。「REは世界で唯一、マツダだけが実用化に成功したエンジンであり、マツダにとってREは存在意義でもある」と、フォードも認めたのである。99年春、ジュネーブ・ショーでマツダのマーティン・リーチ常務が「ことしの東京モーターショーでRE搭載スポーツカーを披露する。それは4ドア車だ」と宣言したことで、このプロジェクトは公になった。

そして、約束どおり、99年の東京モーターショーにマツダは『RXエボルヴ』を出品した。RE搭載の4座4ドア、ドアは観音開きという路線が、RX-01から4年を経てマツダがたどり着いた回答だった。自然吸気の新世代RE・レネシスのスペックも、この時点で決まっていた。RX-01のタイトなパッケージングから、少し緊張感を緩め、4人に充分なスペースを与えたRXエボルヴについては「究極のスポーツカーではなく、もっと広い意味での、楽しめるクルマという意味でのスポーツカーをイメージしてほしい」と、マツダはコメントしていた。

そこからさらに1年2か月。2001年のデトロイト・ショーで、RXエボルヴをブラッシュアップした市販バージョンとしてRX-8が披露された。この時点では、RE存続を疑う人はだれもいなかった。

《レスポンス編集部》

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