レンジローバー『イヴォーク』は、すでに2025年モデルで価格見直しが発表されている。今回借り出した2台の新価格はDYNAMIC SE D200が726万円(旧・834万円)、AUTOBIOGRAPHY PHEV P300eが964万円(同・1036万円)。かなり思い切った下げ幅だ。
いすゞから初代『ジェミニ』が登場したのは1974年11月。今から数えてちょうど50年前のことになる。タイトル写真は筆者の手元にあったその年のパンフレットのもので、化粧プレートにもあるとおり、当初は“ベレット・ジェミニ”を名乗っていた。
2007年12月、北米市場向けに『インフィニティEX』として発売。『スカイライン クロスオーバー』として日本市場で発売されたのは2009年7月のことだった。ちなみにその翌月、日産本社が東銀座から現在の横浜・みなとみらい地区に移転している。
まだ“SUV”の呼び名は日本では一般的ではなく“クロカン”“4駆”などと呼ばれていた頃の1988年5月、スズキから颯爽と登場した“ライトクロカン”が、この初代『エスクード』だった。
今どきとしては厚みのある55プロファイルタイヤ、確かひと頃“エレガンスグリル”と呼ばれた非SL(クーペ)グリル、エンジンフード先端に立つマスコット、シルバーのボディ色……。そんな試乗車の“仄かなオーセンティックさ”に、すっかり気持ちが解されての試乗だった。
1988年8月に登場したX80系『マークII』『チェイサー』『クレスタ』は、平成元年、平成2年には3車併せて41万台超えの国内登録台数を記録。マークII単独でも1位のカローラに次ぐ、当時としては超売れ筋の人気車種だった。
日本名『セリカXX』の2代目は、初代が“風のセリカ”と呼ばれた2代目『セリカ』の登場から1年のタイムラグがあっての登場だったが、3代目セリカと同時に1981年7月に姿をあらわした。
個人的に久々の試乗となったアルファロメオ『ジュリア』。最初のモデルが上陸したのは2017年9月だったから、かれこれ7年、これまで幾度となく接してはきたが、果たしてその世界観に変化はあるかどうか……。
初代『ローレル』はセドリック/グロリアに次ぐハイオーナーカーの草分けとして1968年に登場した。そして「ゆっくり走ろう」のコピーでおなじみだった2代目を経て、1977年1月に登場したのがこの3代目(C230)である。
それまでのアウディの主力車種だった『80』の後継車種として1994年に本国で登場したのがこの初代『A4』(B5)だった。上級車種の『A6』が4代目(C4)の『100』時代に“A6”へと改名されたのに対し、初代A4は4代目(B4)からのモデルチェンジを機に車名を改めた。